大船山は竹田市にある標高1786メートルの山でこの時期は頂上の御池の紅葉が大人気です。私は登山にはあまり関心が無いですがこの時期運行される登山バスに乗ると歴史好きの一つのパワースポット(入山公墓)に寄る機会ができます。紅葉時期で混み合っていると思いますが早速久住に向かって大船山を目指します。

大分から久住へはほぼ一本道で車で約1時間で行くことができます。久住にくると高原の景色一色に変り秋の爽やかな風が吹いています。

この日は季節限定の登山バスで登山口へ向かうためバス乗り場のパルクラブへ向かいます。

パルクラブはイチゴ摘みができたり温泉施設があったりと様々なイベントも開催されています。

この日は予約の登山バスが2台待機していましたが8人×2台が一日、7:30、8:30、9:30の3便が出発します。予約制です。

一応舗装されていますがかなり急で狭い山道を登山バスは約20分かけて登山口まで送ってくれます。マイクロバスでやっと通れるくらいの道でした。大船山の登山口の一つ、池窪登山口になります。

案内が出ていますが私は山頂ではなく途中の「岡藩三代藩主中川久清公墓所」に向かいます。この中川久清公は名君と呼ばれた竹田岡藩の三代藩主でこの大船山の景色をこよなく愛したことで知られています。晩年足が不自由になっても人の背負われて大船山を訪れたと伝わります。そのためこの山のこの場所に自分の墓所を作らせたということです。その墓所を目指します。

登山道に入りますとなんとなく道と分かると道を進みます。。

紅葉に見惚れていると道に迷いそうになります。足元をよく確認しながら進みます。

少し進むと景色が一変し驚かされます。白い岩がごろごろして足元が悪い水無川を渡ります。

白い石は軽石で踏みしめるとカサカサと音がします。踏み間違うと足をねん挫しそうな感じで注意して進みます。

ところどころ山道脇にススキが群生して秋を感じさせます。道は登りになってきました。

第2展望台まで来ましたので一息入れます。ここは既に見晴らしが素晴らしいです。

中腹が紅葉した山を見下します。かなり登って来たなと実感する場所ですね。

山頂はもう紅葉が終わり気味であったとのことですが中腹はまだ見頃です。ススキの穂が風に揺れて爽やかな高原の雰囲気です。

これから登って行く山肌も秋の風景一色です。

登山道入り口から歩く事約40分で入山公墓の看板が見えてきました。登山道から少し外れますが久清公の墓所までやって来ました。私の目的とした場所です。

木立の中に石段が続いてかなり登っていきます。

階段が続きますがなかなか墓所は見えてきませんので少し不安になってきましたがこの先にあるようです。

やっと長い石段の奥に石の門のような入口が見えてきました。

石垣の門をくぐるとここが中川公廟ですね。もしかしてかつては表門があったのかも知れません。

お城の城門のような石垣が積まれています。

案内板がありましたが中川久清公の墓所です。久清は幼年時代に江戸で水戸光圀らと共に熊沢蕃山に陽明学を学んだ若きプリンスで、39歳で岡藩三代藩主となりましたが竹田に師匠の熊沢蕃山を招き灌漑事業・富国強兵などの指導を受け積極的に藩政改革を行った名君でありました。岡藩は明治の廃藩置県まで移封されることなく存続した優秀な藩でしたのでその基礎を作ったのが久清だったわけです。

大船山をバックにした高台に立派な石垣の墓が現れました。このあたりは標高1400mあり日本で最も標高が高い藩主御廟と言われています。

中川と言えば信長、秀吉に仕え賤ケ岳の戦いで戦死した中川清秀が有名ですがその次男の秀成が秀吉命で岡藩初代藩主となりその孫が三代藩主の久清です。つまり久清は中川清秀のひ孫にあたります。

墓の後ろ側には土盛を意味すると思われる独特の形状が見えました。

また久清の墓の他に墓所の中に別の墓もありましたのでお参りします。

こちらは13歳で亡くなった久清の六男、久矩の墓です。

こちらは3歳で亡くなった久清の四女、井津姫の墓でした。父の久清の横で一緒に眠ります。

この辺りは鳥居ケ窪と呼ばれ景観の素晴しい所で大船山を愛した久清公の心情を偲ぶことができます。1681年11月20日に67歳にて亡くなりましたがこの地に葬るように遺言し死後に墓所が築かれた次第です。

この展望台からは久住の山々や岡城や岡の城下町も眺めることができます。恐らくは久清公がここから岡を見守り続けているよという意味もあったのでしょうね。

遥か阿蘇の根子岳、中岳も見えています。素晴らしい眺望です。

まだ山の中腹には紅い紅葉が太陽に照らされて美しいです。

下りも約30分ほどかけて登山口へ戻りました。帰りも定刻にバスが迎えに来てくれていました。

汗をかなりかいたので温泉で流して帰りたいです。パルクラブ内にも大地の湯という温泉がありますがこの日は近くの七里田温泉を利用させていただきました。久清公はこのあたりもよく訪れていたそうなので恐らく温泉にて湯治を楽しんでいたのでしょう。

なかなか登山の経験のない私にとって中川公廟への墓参りは機会が無くて諦めていたのですが竹田市で登山バスを用意していただいたことで無事に達成することができました。感謝です。お墓は山の中腹までの登山道という事で、普通の運動靴を履いてほとんど重装備してなかったですが山道はゴロゴロ岩やら木の根っこの道を登ったりと足首を固定できる登山靴はあった方が良かったですね。軽く考えていると足首を痛めそうでした。 また今度は夏に汗かいて登りたいと思いました。

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