そして城マニアの私としては広島城にももちろん登城します。広島城については1589年に毛利元就の孫・毛利輝元によって築城開始され10年の月日を要して完成した平城です。輝元は関ケ原の戦いで西軍の大将に奉り上げられたため敗戦後に周防・長門へと大幅に移・減封されてしまい代わって福島正則が入城します。しかし福島正則も勝手に石垣を修繕したことを幕府に咎められて改易されるなど、様々な歴史のエピソードを持つ日本100名城です。
駅から広島城へ向かうにはめいぷるーぷバスが便利です。主だった観光地を回って乗り降りすることができます。
バスを降りで城の東側の裏御門から城に入ります。護国神社の鳥居を潜ります。
今に残るのは内堀ですが幅が広く相当に巨大な城であったことが推測できます。この周りに中堀・外堀があったと言われています。
橋を渡って本丸の入口に向かいます。本丸は東西170メートル、南北210メートルと縦長でかなり広いです。
本丸への入口の裏御門の石垣も立派です。
まず目に入るのは日清戦争時に大本営が置かれ明治天皇の行在所になった場所です。
クロガネモチという名札の木がありますが爆心地から910メートルにて被爆した樹木の生き残りとのこと。広島城内には何本か被爆樹木が残っています。
本丸の北西端に広島城の天守が見えてきました。望楼式5層の大天守ですがかつては東と南に小天守を連結していたと伝わります。
小天守は明治時代に取り壊され大天守は被爆して崩壊したため1958年に復興されたものです。
このお城にもキャラクターが存在しました。
5階には廻廊があって広島の街を見渡すことが可能です。
5階からの眺めですが南西側に県立総合体育館や建設中のサンフレッチェ広島のサッカー場が見えます。さらによく見ると・・・。
原爆ドームの頭の部分を撮ることができました。
各階には展示物が置かれ広島城の歴史を学ぶことができます。復興天守ですのでコンクリート製で古さは感じられないです。
コンクリート造りの天守復元にともない元の天守の礎石郡は東小天守跡の南側の本丸御殿跡に移され見ることができます。
本丸の北と東西には帯曲輪が繋がり散策が可能になっています。
帯曲輪の端には福島正則改易のきっかけとなった石垣の部分を見ることができます。秀吉に近いために徳川幕府に警戒され改易されたものと言われます。
曲輪の石垣に刻印が残るものがあるようです。
福島正則時代の石垣と考えられますが積み方はかなり不規則ですね。
さて本丸を南に歩き中御門を通って二の丸へと渡ります。
この辺りの石垣も被爆後の猛火で赤く変色しているのが分かります。
中御門跡の石垣には立派な鏡石がはめ込まれているのが分かります。
二の丸は内堀の中に孤立した馬出のような形状になっていますので内堀内の浮島の様です。
二の丸から本丸方面の景観です。
二の丸には復元された太鼓櫓と多聞櫓が見えます。
そして同様に復元された平櫓と表御門で内部を見学することが可能です。
平櫓の内部を見学できました。
多聞櫓の内部ですが約68m近くあり長い廊下にて太鼓櫓までつながっています。
太鼓櫓の内部です。
復元された御門橋を渡って三の丸跡へ出てきました。
建物自体は新しいものですが当時の城の様子を理解することができました。
左から御門橋、平櫓、表御門、多聞櫓、太鼓櫓です。平成元年の広島城築城四百年を記念して復元されたとのことです。
せっかく広島に来たので城を出て南へ歩きます。この広いスペースは旧広島市民球場跡になります。
広場の一画には市民球場の碑が残ります。15年前に来た際にここで巨人戦を観戦した思い出が残ります。
もう亡くなられましたが鉄人衣笠祥雄の銅像もありました。強い広島カープの象徴でしたね。
暑い中原爆ドームさらに目指します。目の前のビルは新しい観光名所のおりづるタワーです。
階上に上がって自分で折った折り鶴を投げ入れて平和を祈願することができます。
しばらく原爆ドームの辺りに佇んで世界の平和を祈念しました。
近くで見ると凄惨な原爆被害の様子が良く伝わります。
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暑い中でしたが広島市街を元気に歩き回れて良かったです。