その①から
田原坂は実際に体感することができましたのでその後は周辺の史跡やスポットを見て歩くことにします。田原坂に近いJR木葉駅にやって来ました。この駅の周辺にも戦争スポットが多数点在します。
コンパクトですが駅構内も清潔できれいに整備されています。
駅の前にも西南戦争の案内の看板が建っていました。この辺りは官軍の本営があった場所ですし乃木第14連隊長が奮戦していた場所です。
木葉駅からすぐ目の前に木立が見えていますがここに官軍の墓地があるそうなので行ってみます。
歩いてほんの50メートルで道路に入り口を見つけました。高月官軍墓地です。
その立ち並ぶ墓碑の数の多さに驚きでした。駅からすぐの場所にこんな墓所があるとは。
田原坂を中心に官軍の戦死者980名も埋葬されている墓地でした。墓碑の数がすごかったですが長くは居れなかったです。合掌。
県外の方が多いとのことですので遠く故郷を離れ田原坂にて戦死し故郷に帰れず此処に埋葬されて気の毒な気がします。全部で
21カ所も官軍墓地が熊本県内にはあるそうです。
田原線を走っていると田原坂と名が付くJRの駅の看板があったので興味が湧いて立ち寄ることにします。
無人駅で寂しい駅ですね。もしも田原坂のために見学でJRで降りた人が居たら呆然とするかもしれないです。
駅のホームにも日本最大、最後の内戦の地「田原坂」の案内がでていました。
秘境駅とか好きなので雰囲気を楽しみながらしばらく待っているとやがて普通電車がやってきました。
ただし降りる人は誰も居なかった様でそのまま発車していきました。
次に田原坂と並び官軍と薩摩軍が激戦となった吉次峠を訪れました。
吉次峠は高瀬と熊本をつなぐ吉次往環であり侵入してくる官軍を薩摩軍が迎え撃った峠道となります。
この吉次峠はかなり高度があるようで周りの眺めは抜群です。周囲は物音が何もしない静かな場所でした。
場所が非常に分かり辛かったですがひっそりと見える墓所らしきものを見つけました。薩摩軍一番大隊大隊長の篠原国幹の墓です。
西郷隆盛の右腕中の右腕の篠原国幹の戦死は薩摩軍にも大きな痛手だったでしょう。
寡黙ながら戦場では派手なマントを身に着けて陣頭指揮を執っていたそうで目立ったために官軍の同郷の後輩に狙撃され命を落としました。死の覚悟ができていたようです。合掌。
熊本市街に戻る途中、かつて薩摩軍の本営が置かれていた植木町を訪れました。少し林に入った場所に熊野座神社があります。
ここに乃木大将の詩碑があるとのことで訪れました。乃木大将はここ植木の戦闘で負傷しておりその前後に詠んだ詩と思われます。
その後明治天皇の崩御と共に殉死したそうで驚かされました。
その後日清戦争、日露戦争と活躍された乃木大将ですがここで深手の傷を負わずに良かったですね。
熊本駅近くまでもどってきましたが駅近くの北岡神社にも史跡があるそうで行ってみます。
神社の境内の隅に石碑が見えていますが西郷隆盛の薩摩軍の本営碑です。
2月23日から3月11日まで西郷隆盛はこの北岡神社の神官宅を本営にしていたとのことです。
ここにも2本の巨大夫婦楠がありますので西郷隆盛ら薩摩軍を見守っていたことでしょう。
熊本駅に非常に近い場所にも史跡が残っていたのに驚かされました。さて熊本駅にもどってきました。2日間の歴史旅を過ごせて満足しました。
その①




























