あまり知られていないかもしれませんが大分県宇佐市にはかつて宇佐海軍航空隊が置かれ、艦上攻撃機と艦上爆撃機の練習航空隊として訓練が行われておりあの真珠湾攻撃にも参加していたとのこと。この基地は東西1.2km、南北1.3kmで約184haほどの広さで当時は800名もの隊員が所属していたそうです。現在もこの基地跡を中心に当時の史跡が多数残っており、海軍航空隊の歴史の勉強のためにも見学の価値があります。(2021/08)

今回の戦争遺構めぐりのための情報収集に最初に宇佐空の郷「うさくうのさと」を訪れました。建物は宇佐海軍航空隊の司令部庁舎をモチーフにしているとのこと。ここで見学ルートを地図で確認します。

敷地内にあるのは宇佐海軍航空隊正門門柱の復元モニュメントということです。

そして宇佐平和資料館を訪れます。宇佐海軍航空隊の歴史や宇佐から出撃した特攻隊などを紹介するための資料館とのこと。

宇佐航空隊は航空母艦に搭載する艦上爆撃機・艦上攻撃機の搭乗員と偵察員の教育を実施する航空隊であったいう事ですが、戦争末期には神風特攻隊として体当たり特攻部隊の基地となり多くの若者が南の空に飛び立っていきました。悲惨な歴史を後世に伝えます。

施設に入ってまず実物大サイズのゼロ戦が迎えてくれて驚きました。

実際(模型ですが)の戦闘機を間近に見るのは初めてでした。

この戦闘機は映画「永遠のゼロ」にも使われた実物大の模型ですがたいへん迫力がありました。実際に宇佐では九七式艦上攻撃機(3人乗り)や九九式艦上爆撃機(2人乗り)で訓練が行われていたとのこと。


721は第721海軍航空隊、特攻専門の部隊を現わしています。この721部隊は後で紹介する人間爆弾の「桜花」を兵器とした特攻部隊です。

車輪は戦闘機「疾風」の実物を使用しているとのこと。

当時の日本の技術の粋を集めた性能の高いゼロ式戦闘機でした。時速500キロ以上、航続距離は3000キロを超え真珠湾攻撃などでも活躍しました。

コックピットを覗きこむこともできましたが精巧に再現されています。

別府湾で引き揚げられた実際のプロペラも展示されていました。

そしてここ宇佐航空隊から出撃した人間爆弾「桜花」です。人間魚雷は聞いたことがありましたが人間爆弾というのがあったことは初めて知りました。

「桜花」は一人乗りで1200キロの爆弾を積んで母機から吊るされ敵艦を前に切り離されて猛スピードで突入していく恐ろしい特攻兵器です。突っ込むしかないので生きて帰ることは無い兵器ですね。宇佐でこんな恐ろしい兵器を積んだ特攻部隊が存在していたことに驚きです。

この「桜花」を攻撃兵器とした第721海軍航空隊の解説が出ていました。

次に軍用機を空襲から守るために造られた掩体壕という施設を訪問します。掩体壕は1944年の8月から建造されたそうで現在もここ基地周辺に複数存在しています。

現在は宇佐市の史跡として公園として整備されています。初めて見た者には不思議な形状ですがよく残されていたと感心します。

中央にあるのは国東沖で引き上げられたゼロ戦のエンジン部分です。

内部はコンンクリートで思ったよりはしっかりした作りと言う印象です。防空壕にも使われたかもしれないですね。小学生の奉げた千羽鶴が平和の祈りを象徴しています。

戦闘機一機がすっぽり隠れるようなサイズの格納庫になってます。

こちらは1号掩体壕のそばにある2号掩体壕です。

このあたりは飛行場の跡地のためか車を走らせていると掩体壕があちこちに存在しているのが分かります。現在は民家の倉庫に使われているような壕もありました。

こちらは現在の県道ですが元々は宇佐海軍航空隊の滑走路です。

出撃する隊員を見送った人々をイメージしたモニュメントが並んでいます。終戦時には滑走路は1800メートルもあったそうです。

とにかく広大な畑沿いに車を走らせると爆弾池の看板を発見しました。旧飛行場跡ですので土地はとにかく広くてどこに何があるのか探すのに苦労しました。

駐車場が整備され白い展望台のような施設にたどり着くことができました。

見学できる施設が整備されているようです。

昭和20年4月の空爆時に爆弾が破裂した跡が水溜まりになったものです。本来は直径10メートル、深さ1.2メートル程あったそうです。

恐らくは航空基地ということで複数回の爆撃を受けたのでしょう。恐ろしい戦争遺産です。

一度の空襲で基地関係者320名の死者を出したこともあったとのことで胸が痛みます。

展望台から360°見渡すことができます。案内板には阿川弘之氏の「雲の墓標」の一文が書かれています。

とにかく広い航空基地都跡ですが現在は見渡す限りほとんどが農地に開放されています。

「雲の墓標」を読んでみたくなりました。

これは落下傘の整備施設です。壁に弾痕のようなものが残っているのが確認できます。

内部が吹き抜けでパラシュートを開いて整備していた施設のようです。

受信所または配水所と呼ばれているコンクリート製の施設跡です。頑丈な作りで外壁が45センチもありました。

住宅街の中にこのような戦争史跡がありますがしっかり保存・整備されている印象です。

施設の上部は土に覆われていて敵機から見つかり難い工夫がされているとのこと。

また用途は不明ですが広場の中にポツンと現れた戦争施設?。

宇佐市では戦争を二度と繰り返さないという想いを未来に継ぐということで、戦争遺産を保存し見学ができるように整備を進めているそうです。 これだけの戦争遺産が地域に残されているのに本当に驚かされました。ここで若い隊員が研修を受け神風や桜花といった片道キップの特攻機に乗り込んで国のために死んでいったと思うと本当に胸が痛みます。二度と戦争の無い世の中を宇佐から祈りたいです。ぜひ若い人に戦争の悲惨さ、命の尊とさを学びに宇佐に来て欲しいです。(38)