今回の夏休みでは東北の私的パワースポットを回る計画を立てました。まずは米沢を出発に会津、白石、二本松、白河と回って東京に戻ります。歴史好きならぜひ行ってみたい場所だらけですね。昔なら東北は涼しいだろうなと考えますが今は日本中どこへ行っても猛暑で暑いです。でもやはり歩くのが好きなので熱中症に気をつけながら散策の旅に出かけます。
(2019/07)
朝早くの米沢駅に降り立ちました。時間は早朝の5時です。
駅前は人影まばらですが米沢牛やお酒の看板がやたら目につくグルメも魅力な街ですね。
まだ公共交通機関も動いていないので駅から歩いて上杉神社を目指します。
街中の古い店構えも残っていて懐かしい雰囲気を醸し出しています。
途中古そうな校舎の学校を見つけ思わず写真撮りました。現在の九里学園高等学校だそうですが昭和10年建造の木造校舎で平成9年に国の登録有形文化財に指定されたものとのこと。たいへん歴史があって街に合っていますね。
約30分ほど歩いてきまして上杉神社の参道に着きました。
広々として何か神聖なものを感じさせます。
上杉神社が見えてきました。
現在の神社は完全に城跡の縄張内にあることが分かります。元の米沢城本丸のあった場所です。
上杉謙信公亡き後は神として扱われていたことがよく分かります。
立派な唐門をくぐって拝殿に進みます。実は開門が朝6時だったのですが私が着いたのは5時40分でしたのでしばらく開門を待って朝一番乗りに参拝して気持ちがさらにパワーアップしました。謙信公に気の早い奴だと思われたかも知れません。(笑)
とにかく威厳があってパワーを感じる神社です。
軍神・上杉謙信公に開運招福・戦時必勝を祈願しました。
参道の左側の小高い場所が米沢城内のもっとも神聖な場所と伝わります。
越後の春日山城で亡くなった謙信の遺骸は、上杉家の米沢移封と共に移され城内この地に御堂が建てられ安置されていたと言います。謙信公は明治維新までこの地におられましたが現在は上杉御廟所に安置されています。
米沢城跡には現在は招魂の碑が建立されています。
この場所には上杉謙信の遺骸だけでなく戊辰戦争と西南戦争の戦死者を祀る非常に神聖な場所であることが分かります。
米沢藩の財政を立て直した米沢藩9代藩主上杉鷹山公の銅像です。世界的にも有名な方ですね。
そうです、米沢城は伊達政宗の生誕の城でもあります。
自分の歴史知識を整理確認する上で案内板は非常に役に立ちますね。よくまとまっています。
上杉家の神である上杉謙信公の銅像も見守ります。
仲良しか!とも見える二人の像はもちろん上杉景勝と直江兼続です。
直江状など関ヶ原の戦いの一因になったことでも知られますが、会津120万石から米沢30万石の減封は相当に辛かったことでしょう。よくぞ持ちこたえたというところでしょう。
公園内の松岬神社に上杉鷹山公が祀られていますのでお詣りします。鷹山公は高鍋藩から養子として米沢藩に移ります。
キャロラインケネディ大使の口から上杉鷹山の名が出るとは驚きましたね。
現在は上杉景勝、直江兼続他も合祀されています。
苦労の連続であったと思いますが米沢藩270年の礎を築き現在も見守ってくれています。
また境内には上杉家の家宝を集めた稽照殿(けいしょうでん)もありますので時間があればゆっくりと鑑賞したかったです。
松岬公園への正面の堀に架かる石造アーチ橋(舞鶴橋)ですが趣があると思ったら明治19年に架けられて国の登録文化財となっているそうです。
こちらは上杉市博物館です。織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝わる有名な「上杉本洛中洛外図屏風」も見ることができます。
折角ですので濠を一周してみましたが東側の濠には蓮が群生していて見事でした。
公園の角には直江兼続公の屋敷跡の案内がありましたが跡らしきものは何も残っていないようです。