さて函館の旅二日目になりますが午後からは函館山周辺を訪れます。この周辺も箱館戦争の史蹟が多く残ります。まずは景観の素晴らしさを眺めに立待岬に来ました。
美しい海と荒々しい波が印象的です。
ここから近く函館山の麓にある碧血碑を訪れます。山の中で入口も分かりにくい別世界の入口の様、旧幕府軍多くの兵士の慰霊塔です。入口から約200メートル奥へ進みますが辺りは静寂の地です。
この辺りは人の気配がします、今なお多くの兵士が潜んでいるようなゾクゾクとする空気を感じます。この細い道を奥へ奥へと進んでいきます。
当時野山で戦死した兵士の遺骸を収容しここに埋葬し祀る慰霊の塔です。
その数は800名にもなると言われますが、今も花が捧げられ山からひっそりと函館の街を見守ります。碑の意味は 「義に準じて非業の死を遂げた者の血は3年たつと碧になる」という中国の故事に寄ります。手を合わせますが長い時間は居れなかったですね。
また近くの函館八幡宮にもお詣りいたしました。北海道の開拓に関わる神として道民からの崇敬を集めているとのことで、函館の激動の歴史も見守ってきたと思います。
函館漁港方面はへ移動しますが、ここは旧幕府の弁天台場があった場所で約100名の新撰組が中心となって死守していた総勢200名の陣地です。5月11日は陸と海からと新政府軍の総攻撃があり一気に形勢が傾いた場所で、土方も仲間を救うべくここを目指す途中で戦死します。明治になってここに作られたこの岸壁・防波堤は解体された旧弁天台場の石材を使ったと言われており、確かに石垣で作られているのが分かります。
台場近くの高龍寺ですが箱館戦争の際にはここは旧幕府兵士の仮病院があった場所です。函館の病院が負傷者で一杯でこの高龍寺が分院となっていました。
境内には高松凌雲の看板が立っています。フランスで医学を学んだ凌雲は旧幕府軍・新政府軍と区別せずに治療を施したとのことで、日本に最初に赤十字精神を持ち込んだと言われます。ただまだその精神は理解されず高龍寺は新政府軍に襲われて全焼したとの悲劇が伝わります。また称名寺の境内には土方歳三の死を悼んで建てられた慰霊碑があります。石碑の裏に土方と宮古湾海戦で戦死した野村利三郎の名前など4名の新撰組隊士の名がありました。
ドック前の公園には新撰組最後の地という碑が建っていました。戦争時旧幕府軍としてこの一帯にあった弁天台場を守っていた新撰組百余名は新政府軍の総攻撃を受け、5月15日に降伏しました。ここが最後の地ということです。
11日は土方歳三戦死していますので降伏は時間の問題でしたね。榎本武揚も死を覚悟の日々だったでしょう。
大町電停前にある現在の臨海研究所ですが、箱館戦争時は新撰組の箱館地区の警備の拠点となっていたということです。
一日歩き回って疲れを癒すために有名な大正湯に入ろうとしましたが、この日は休みでした、残念。
またペリー公園にはあのペリー提督の来航記念碑が建っていました。
ペリー提督と言えば浦賀ですが日米和親条約の締結の後開港地に選定された箱館を検分するため箱館港に来航しました。以来函館は国際都市として発展していきました。
函館の街を見守るペリー提督です。
姿見坂近くには会見所跡の碑も建っていました。街のあちこちに歴史を感じさせます。
今回の旅は函館から小樽へと向かいます。地中の長万部駅では寝台特急北斗星が停まっていました。
一度は乗って見たかったですがね。
今ではもう見ることのできない貴重な写真になりました。
趣のある小樽駅です。
小樽には箱館戦争の跡は無いですが、北海道の中で明治政府へとしっかりとつながっていくのが見えてきます。まず行きたかったのが小樽駅のすぐの龍宮神社です。この境内には金色に輝く榎本武揚像が立っています。 新政府の開拓史として小樽を訪れた榎本はその未開の地を無限の可能性を感じ開拓を進めていく訳ですね。その際に航海の安全や開拓の安寧のためにこの地に鎮座させたものが龍宮神社を言われています。
この榎本武揚という人は処刑されるはずが、その抜きんでた才能を惜しまれ黒田清隆の嘆願により新政府側の開拓史となって北海道の開拓に腕を振るい、さらには政府の要職を歴任するなど才能あふれる人間だたようです。数か国語を話し国際感覚が身に付けた、新しい日本の船出には絶対に必要な人材であったのでしょうね。旧艦隊と幕臣を連れて品川から船で脱走するなどその行動力も群れを抜いています。この人が神ならば私も学問成就、商売成功の願をかけたいと思います。
榎本武揚の生い立ちと人なりです。
また駅から近い都通りの商店街に来ましたが、榎本武揚の顔が迎えてくれます。
商店街を歩いていくとコミカルな置物が置かれており、武揚(ぶよう)さんと呼ばれています。確かに撫ぜると頭が良くなるような気がしますね。
大きな看板に榎本武揚の足跡などがかかれた看板が目に着きます。若い人がどうなのか聞いてみたい気もしますが、いずれにせよ小樽市はもちろん北海道に愛された人と感じました。
お馴染みの小樽運河です。
運河をのんびりと船で回るのがとて情緒があってよいですね。小樽運河の新たな楽しみ方という気がします。
ひとつビックリネタを。 運河の近くでふと川を見るとなんとサケが泳いでいました。観光客はビックリして写真を撮ったりしていましたが、地元の人は当たり前でしょう、みたいな反応でずいぶん温度差があると感じました。サケも体が痩せてボロボロでしたので一度遡上して産卵し終わったのが流されてきた感じでした。
札幌から電車で20分、江別にやってきました。駅からさらに20分、工栄町という工業団地の中に榎本公園があります。初めて行く人には本当に分かりにくいですが小さな公園があります。
公園の隅には高い塔の上に馬に乗り左手を挙げた榎本武揚の像がありました。この辺りは対雁(ついしかり)と呼ばれ、かつて榎本が農場を開き現在の江別市の発祥の地となったとのことでこの塔が建てらたと碑には記載されていました。
榎本武揚顕彰碑です。
北の台地を眺めながら大きな夢と可能性を感じたことでしょう。
帰ろうとしてふと振り返ると公園の向こうから榎本が寂しそうに手を振っているように見えました。確かにこの公園は人通りも少なく、夜や冬の間は寂しいだろうなと思います。北海道に大きな功績を残した人ですのでもっとたくさんの人に来て欲しいですね。私もまた会いに来ますって心に誓って手を振りました。
函館には箱館戦争の爪痕がまだ残っていますが、今や日本有数の観光地であるのと同時に土方歳三や榎本武揚などの史跡に魅かれる人も多いと思います。その歴史がまだ強く感じられる函館はその魅力で人をひきつけ続けるのだと思います。私も何度でも行きたいです。
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