①より続く

鹿児島の街中はレトロな電車と新しい電車が混在しています。

今日は桜島フェリーにて初めての桜島を目指すことにします。

桜島フェリーはなんと24時間市街と桜島を約20分で結びます。

船からの桜島の眺めです。

港に到着します。

さすが火山の島は溶岩で囲まれていますね。

黒い溶岩があちこち露出しています。

港から3キロあったのですが目的とする赤水展望広場(長渕剛のメモリアル)までてくてくと歩いていきました。

やっと目指す赤水展望広場がみえてきました。

2004年8月に7万5千人を桜島に集めたオールナイトコンサートの伝説の現場です。

本当に伝説になってしまいましたね。交通手段が船しかないのに良くも7.5万人も島に運んだと思います。今も長渕淵は桜島に向かって叫んでいますね。

この場所からは火口に近いせいか噴火が激しく目の前に見えて恐ろしいですね。
時々大きな音と共に噴煙が吹き上がります。島で生活している人も相当たいへんでしょうね。
烏島と呼ばれる小島は大正3年(1914)の桜島の大噴火によって流れ出した溶岩で埋まってしまいその碑がありました。
薩英戦争時の砲台があった場所も溶岩で埋まってしまいました。
さてフェリーで鹿児島港に戻ることにします。

島津家別邸の仙厳園にも立ち寄りました。島津家29代忠義が建てた正門が出迎えます。

仙巌園は万治元年(1658年)島津家19代光久によって築かれた別邸です

かつての正門と言われる錫門です。

庭園の中で最も大きな獅子乗大石灯籠で大きさは8畳分もあります。

28代斉彬が急死して後を継いだ29代忠義が住んだ邸宅の見学も可能です。激動の中、鹿児島では12年間暮らしました。

仙厳園からの桜島の眺めです。

薩摩藩士でお馴染みの示現流の叩き台がありました。

島津家のの歴代当主とその家族らが祭られている鶴峯神社に参拝しました。

島津義久の三女の亀寿姫も御祭神になっているとのこと。それほど美貌だったのですね。

島津義弘の甲冑が目を惹きました。

島津家800年の歴史や文化を紹介する博物館「尚古集成館」です。時間が無かったので残念ながら入ることはできませんでした。

最後の鹿児島の夕、天文館をブラブラしました。

天文館は都会ですね、ものすごく活気があって賑わっていました。

鹿児島ラーメンのタカで夕食食べました。普通と大盛りのメニューしかありません。

翌日は奄美大島へ移動して西郷隆盛の島での足跡を追いかけます。 (奄美編につづく)