以前テレビ番組で見て以来気になっていた「エリソン・オニヅカ氏」の先祖の故郷と言われる福岡県うきは市に行ってみたく機会を狙っていましたが、ちょうど大分自動車道を長崎に走らせる用事がありましたので少し時間を取って寄ることができました。
大分自動車道の杷木インターを降りて進みますが土地勘がありませんので築後大石駅などの近くの公共機関を目指してナビゲートしていきます。この辺りは良い温泉がたくさんあって筑後川温泉や原鶴温泉などが有名です。
すると交差点にエリソン・オニヅカの写真と案内地図が掲げられているのを発見!、助かりました。やはり地元でも有名な方なんでしょうね。オニヅカ氏はハワイ生まれの日系三世ですが、自分のルーツを必死に探すうちに父方の故郷がこのうきは市であることが分かり1983年には墓参に訪れています。その後1986年のチャレンジャー号の爆破事故で殉職することとなりました。没後10年経て彼の功績を後世に残そうと地元に彼の名前の付いた橋が完成したとのこと。
そのエリソン・オニヅカ橋と名付けられた橋を探しましたが思わず通り過ぎるところでした。
よく見ると橋の欄干に案内のプレートが見えてきました。これがエリソン・オニヅカ橋です。
スペースシャトルの図柄のパネルも見えています。
ハワイで産まれで宇宙への夢を実現させた偉大な宇宙飛行士でしたが、爆破事故で殉職したのは痛ましい限りです。日系人としてエリート中のエリートだけが選ばれる宇宙飛行士になる夢を叶えたことは簡単なことでは無かったと思います。レーガン大統領の追悼スピーチが心に残っています。
小さな橋ですがエリソン・オニヅカ橋には日本とアメリカの架け橋の意味もあるということです。
1983年の墓参の際には地元中学校で講演し子供たちに夢に向かって進むことの大切さを伝えたという事です。
近くに生家跡があるということで案内に沿って道から少し小道に入って進みます。広々とした田圃風景が広がります。
ここも思わず通り過ぎるところでしたが案内板が出ていて助かりました。ここが鬼塚家の生家のあった場所です。祖父母は1890年代にハワイに移住したということです。
奥には鬼塚家の墓が見えますが、恐らく1983年に鬼塚氏本人が里帰りして墓参りをした場所ではないかと思います。自分のルーツを発見できて改めて誇りをもって生きていける思いを強くしたと思います。
帰りの途中「道の駅うきは」に寄ってみますが、地産の野菜や果物がたくさん並べられ売られていて賑やかでした。
うきは市の観光地図です。
九大本線の築後大石駅に寄ってみましたが無人駅でした。
ちょうど久留米方面行(上り)の普通列車が通り過ぎていきました。
広々とした草原を赤い列車が走り去って行く姿はなかなか郷愁を誘います。
浮羽の町は川の流れがあって素晴らしい景観が広がっていますね。美しい町です。
温泉と自然が溢れていて魅力的な町でした。オニヅカ氏もDNAで懐かしさを感じたかもしれませんね。
またゆっくり訪れたいと思います。(18)