大分には日本100名城に選ばれた府内城跡が存在します。と言っても県外の方は府内城はどんな城かという知識はほとんど無いと思います。現在の城跡は天守閣も無く城壁と堀を残すのみですが、この2年間仮想天守を金属パイプで復元しLEDライトでイルミネーションを行うプロジェクトが行われてきて評判になっていましたがいよいよラストを迎えます。(2020/2/14)
私は実家が近かったので小さい頃は城址の石垣に登ってよく遊んだ記憶がありますが、府内城の縄張りは現在では信じられないくらい広く大分の中心街をすっぽりと覆うくらいの広さでありました。現在残るのはほんの一部です。
築城開始は1597年で石田三成の妹婿の福原直高ですが、その後関ケ原の戦いを経て竹中重利が城を完成させました。そして約300年前に大火で焼失するわけですがその天守を江戸時代の絵図を参考に土台と四層構造の天守の骨組みを金属製パイプで高さ29メートルまで積み上げて再現するお城型イルミネーションが行われてきました。昼間と夜間では見え方が全然違ってきます。まずは昼間の様子から。
南側の遊歩公園から眺めると四層の天守が見えています。
手前に見えるのは着到櫓の二重櫓です。
関ヶ原の戦いの直後に完成を見た大分府内城の天守の復元の姿です。約300年前に天守は焼失していますので300年振りに蘇った次第です。
すぐ仮想天守の近くまで近づいて眺めることができます。かなりの高さであることが実感できます。
近くから見ると確かに昼間は工事現場の骨組みの様ですね。
よく見るとLEDランプがクリスマスツリーの様にたくさんぶら下がっているのが分かりますね。これが夜はライトアップされて輝いて見えます。
仮想天守の傍らには本物の天守台です。
本物の天守台から仮想天守を見たところです。左が県庁、右が大分合同新聞社です。
大分城址公園の概要図です、現在残るのは内堀ですが実際はこの外側に大きな外堀が廻らされていました。
府内城跡の縄張りと沿革についての概要が分かります。東北側の堀の向こうは当時は海であったのが驚きですね。
府内城の各史跡に関しての案内が書かれた案内板です。
府内城の歴史を調べていくと城めぐりが楽しくなりますね。
本物の天守台にも上がれますのでこの機会に上がってみたいと思います。
石垣はやや不安定の様で鉄製の階段で登ります。
当時の石垣でしょうがかなり荒い積み方をしているように見て感じます。
天守台から北方面を眺めてみると山里丸跡が見えています。現在は松栄神社が鎮座しています。
西の丸と山里丸とをつなぐ復元された廊下橋が見えます。
東側のこの内堀の向こうは当時は海でした。船の出入りがあったと思われます。
府内城の大手門です。
大手門からも仮想天守を見上げることが出来ます。
国道197号から車窓から天守を見ることができます。
画面左の宗門櫓は江戸時代から残る史跡ですが保存復元作業が続いています。
狭間のある白塀から天守が覗きます。
県庁の展望台から見下ろすと府内城の広大な城跡と天守の存在が良く分かります。
そして夜の顔ですが、2017年度から実施している「府内城仮想天守イルミネーション」です。最初はビックリしましたがその夜の存在感は圧倒的で少し遠くからでもその天守を確認できる光輝く天守のLEDイルミネーションです。
夜の天守ですが真っ暗の中に浮かび上がる天守はなかなかインパクトがあるのではないでしょうか。他では見たことが無いイルミネーションの方法と思います。
イルミネーションの期間は延びたおかげで国民文化祭やラグビーワールドカップの多くの来県者の方にも見て頂いたようで来場者は13万人にもなったそうです。
当時と同じ29メートルの高さ天守が約300年の時を経て蘇ったわけですが、残念ながらこの日のラストイベントをもってイルミネーションは終了し300年前と同様に忽然と姿を消してしまうことになります。
今後いつ見られるか分からない府内城の天守ですのでしっかり目に焼き付けたいです。
100名城とはいえ城の大部分は埋め立てられ現在は城壁と内堀しか残っていない府内城ですが、市民には馴染みの深い史跡ですので、このイルミネーションによってその城の歴史と天守の存在が内外にかなりアピールになったと嬉しく思います。残念ながら2020年2月14日をもって終了しました。 (31)