福井は二度目ですが今回は敦賀まで足を伸ばして戦国から幕末までの歴史と偉人に触れてみたいと思います。 

まずは久しぶりの福井ですが初日は福井を旅します。最初に福井駅前が大変なことになっていました。恐竜が動いていて時々吼える声がします。

福井駅の壁を突き破って恐竜が登場です。

駅のベンチにも変なのが座っていました。(笑)
 

まずは観光ですが駅から歩いて1分の福井城址です。福井藩祖の徳川家康の二男、結城秀康の騎馬像が出迎えてくれます。関ヶ原の翌年から福井に入り築城開始しました。 

福井城の天守の跡ですが元々4層5階もの大きさであったそうですが火事で焼失したとのこと。

石垣が両側に迫ってきて迫力がありました。
本丸の天守台ですが1948年の福井地震によって石垣が傾いたまま残っていました。
天守の礎石らしいものが残っていました。
天守台の案内図です。
天守跡には福井の由来となった井戸がありました。一説ですが福井城を作る前からこの井戸はあったそうで名井と言われておりそこから福井の名前が出たとのこと。

夜になるとお堀がライトアップされて御本城橋あたりもまた良いムードになっています。現在の城跡には県庁など庁舎が立ち並んでいます。

 

福井城東南側に小さな内堀公園がありますがここに横井小楠と三岡八郎の旅立ちの像があります。時代は幕末ですが熊本へ一時帰国する小楠と長崎へ物資販売ルート開拓のため同行した二人の像とのことです。

福井城のすぐ北にある養浩館庭園を見学に訪れました。

ここには松平春嶽公の銅像です。

私もこんな素晴らしい庭園を見下しながら鯉にエサをやって生活できたらいいなと感じました。

ここの鯉はやや飢えていたようで餌をやると大変なことになってしまいました。
そのお隣が福井市郷土歴史博物館ですが、正面横には幕末の四賢候の一人、松平春嶽先生が鎮座されています。

ここも近くの照手町ですが莨屋旅館跡の碑が建っています。

坂本龍馬が暗殺される直前この福井で三岡八郎(由井公正)に会い新政府の構想を話し合った場所と言われます。この会談の内容は後藤象二郎に宛てた手紙が発見されてより明確になってきました。

また少し歩いて足羽川にかかる幸橋の辺りに史跡があります。

由井公正宅があった場所と坂本龍馬が送ったと言われる歌碑が立っています。「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行く末」 

由井公正の像も立っています。坂本龍馬が確信したようにその後新政府の財政担当として働き後には東京都知事も務めています。

 

また川の反対岸には横井小楠の寄留宅跡の碑があります。

横井小楠は松平春嶽公の顧問として熊本から何度も福井を訪れていました。坂本龍馬にも影響を与えた幕末のブレーンの一人です。

夜に何を食べようかとブラブラしていたら焼き鳥の秋吉さんがありました。知らなかったですが秋吉は福井が発祥の地とのことでこれは本場の味を確かめようとカウンターで爆食いしました。5本づつの身が美味しいし何と言っても店に活気がありますね。

その②へ続く