その②から続く

別所温泉から今真田丸で盛り上がる上田市へやってきましたが、駅前では幸村の騎馬像が迎えてくれます。胸に刻まれた六文銭が光ります。ただ信繁が世の中で注目されるのは大阪の陣からでしょうから上田駅前では少し気恥ずかしそうではないでしょうか。(笑)
 

駅から少し歩くと上田藩主居住跡の堀や表門を見ることができます。現在は上田高校の正門になっています。

上田高校はこのお堀の中にそのままあるのが分かります。校歌にも「関八州の精鋭を~」とありましたね。大勢力の徳川に立ち向かう小さな真田家の心意気を詠んだものらしいです。

さらに歩いて上田城内に着きましたが城内では真田丸の大河ドラマ館が開催中で盛り上がっているようでした。時間が無いので今回はパスしました。

お馴染みの東虎口櫓門です。これまで幾度も戦火に晒されてきた櫓ですが、真田氏が松代へ転封された後は仙石氏が入城し破却された上田城を現在のような姿に再建したとのことです。

美しい櫓門が迎えてくれます。

そしてお馴染みの真田石です。最初の築城時に昌幸が近くの太郎山から堀りだしたもので、松代に転封となった信之がこの石を持っていこうと運ばせましたがビクともしなかったと伝わります。

真田神社裏手に真田井戸と呼ばれる大きな井戸があります。城では必ず生活用水のためにありますがここでは真田の抜け穴という説も良く聞きます。真田には神秘的なイメージが出来上がっているようですね。

上田城跡公園の全景です。

上田の自慢でもある徳川との第一次上田合戦についての経過を説明したパネルです。

そしてあの関ヶ原で秀忠軍を釘付けにした第二次上田合戦の説明もありました。手練手管でよく生き残ったと感心します。

真田神社にも必勝祈願させていただきました。
天守は無かったと伝わります、本丸跡です。
こちらは西櫓です。
櫓についての解説が書かれています。
信之の正室の小松殿の遺体を運んだと言われる駕籠です。江戸から沼田へ戻る途中、鴻巣で病死した小松殿の遺体を運んだという駕籠が展示されています。 小松姫は47歳だったとのことですが信之は92歳まで長生きしています。小松姫は松代の大英寺に霊廟があります。 

南櫓に上がり窓を開けて尼ケ淵を見下しますが、その向こうを北陸新幹線が駆け抜けていくのが見えます。真田親子が生きていればさぞビックリする光景でしょう。

眺望は素晴らしいですね。

尼ケ淵から南櫓を見上げます。

厳しい気候で石垣も傷みが激しいと思います。

当時は千曲川の支流が流れていたということでかなり切り立った絶壁に建っていたようですが、野面積みの高石垣と古風な櫓が真田の城を偲ばせます。

駅に向かう途中、ちょうど真田太平記を読んでいる最中で(9巻目)ぜひとも寄って見たかった池波正太郎真田太平記館です。お土産に文庫の最後の第12巻を購入しました。ぜひ読破したいです。

ご存知、真田十勇士がお出迎えしてくれます。

上田駅に戻って来ました。

別所線でも真田丸のラッピング電車がスタートします。21日にはその出発式があって上田駅のホームが人で溢れていました。
大河ドラマの真田丸に合わせてたくさんの観光電車もお目見えしています。信濃鉄道のROKUMON号です。内装がたいへん豪華でした。
 

上田電鉄の改札のすぐ横に焼き鳥屋さんがありました。実は上田では焼き鳥を赤い辛味みそタレで食べるのが名物になっています。このお店でもコップに入った辛味タレが別に出てきますので焼鳥を漬けて食べるのです。辛味がビールに良く合います。 

上田ももちろん蕎麦が美味しいですが、最後のランチということで城下町さんで六文銭ソバを頂きました。6種類のトッピングを楽しんで上田の旅は終わります。箸にまで六文銭が捺されているのが感激です。

真田一色の上田でしたが充分満足しました。

寒い信州にも真田の熱で春を感じる旅でしたね。信繁さん、ありがとうございました。
次は5月に九度山へ遊びに行こうと計画しています。昌幸、信繁親子の蟄居生活から大阪の陣での奮闘までを追っかけてみたいと思います。
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