大分市の戸次(へつぎ)と言うと全国的にはほとんど知る人もいないと思いますが、ここは約400年以上前に豊臣秀吉の支援を受けた大友軍と薩摩の島津軍との間で九州の統一をめぐって激戦の舞台となった歴史的にたいへん意義深い場所です。今回はその激戦の地である鶴賀城を目指したウォーキング大会があるとのことで参加させていただきました。

ウォーキング大会のチラシです。午前中には歩き終わる約9.5キロメートルの距離になります。

集合場所となる大南市民センターです。日曜日の朝8時集合です。

参加者が集まって出発式が始まりました。この後はラジオ体操などして体をほぐします。

いよいよ鶴賀城を目指してウォーキングに出発です。

途中大野川に沿って進んでいきます。のんびりとした田舎の風景です。

国道10号線を横断しやや登り坂を進みますと道沿いに看板がありました。長宗我部信親公の墓所です。

豊臣秀吉の九州征伐のために派遣された長宗我部、十河ら四国勢ですが仙石秀久の無謀な突撃指示によって島津の吊り野伏の犠牲になってしまいました。

その戸次川合戦の碑が建ちます。

そしてその近くには長宗我部信親の墓があります。父の元親は信親の武将としての素質を評価し大いに期待をしていたところですがこの信親を失ったことで長宗我部家は衰退をしていきます。

同じく四国から参加して討死した十河存保(そごう まさやす)の一族の慰霊碑も建っています。

さらに進んで鶴賀城を目指しますが途中に見える棚田の風景に癒されますね。

鶴賀城の案内板がでてきましたが徐々に山に入っていきます。標高193メートルの小高い山となります。

山城ですので山に入っていくのです。

落ち葉が敷き詰まった山道を登っていきます。

子供たちも元気で登ってきます。それほど高い山ではないのでハイキング気分で歩けるコースだと思います。

やや登りの山道が続きます。

二の丸への登り口に着きました。非常に狭い登り道になっています。

島津の攻撃に鶴賀城を守った利光宗魚ですが悲運な最後を遂げています。利光もやはり大友の家系の様です。

山の尾根に沿って本丸を守るように二の丸、三の丸が連なっておりさらに北へ伸びた尾根に穀倉跡、ノロシ台跡もあります。

二の丸に建つ鶴賀城跡の碑です。1586年に島津の4男家久率いる島津の大軍がここに侵攻してきたのでしょう。

当時はこのような木々は無かったでしょうが今は林で鬱蒼としています。

向かって右の方に進むと三の丸ですがほとんど林の中で先が見えなくなっていました。

本丸に向けては狭い山道を上がります。一人ずつしか通れない狭さです。

畝状竪堀と呼ばれる山城の防御跡が残ります。高崎山城にも同じような畝が残っていましたね。

山の斜面に筋状の大きな溝を掘ってあるため敵はその溝に沿って登るしかないために上からの弓や鉄砲を狙いやすくなるわけです。

敵の侵入を防ぐ防塁跡もしっかりと残っています。

本丸跡にたどりつきましたがここからの眺めは絶景で戸次の街が一望できました。

大野川の景観が広がりますが手前の白い水道橋の左手のあたりが竹中という地域で南こうせつさんの実家のお寺(勝光寺)があるところです。

山の麓に黄色い動くものが。JR豊肥線の1両編成のローカル列車です。

遠くには大銀ドームの姿も見えました。

うっすらと高崎山が見えていますが当時は狼煙で各支城との連絡を行っていたようです。

下りは楽ですが落ち葉が多くて濡れている個所は滑りますので注意して進みます。

ひたすら山を下っていきます。

歩いた後は皆でだんご汁をいただきました。具だくさんでたいへん美味しかったです。

ただ歩くだけではあまり面白くないですが城好き、歴史好きとしては戸次川、鶴賀城と聞いては参加しない訳にはいきませんでしたね。大友軍と島津軍の激戦の地に思いをはせながら歴史を旅することができました。全行程9.5kmを歩いて無事に完歩証をいただきました。

関係の方お世話人りました。たいへん楽しかったです。(35)