その①から続く

築地市場にやってきましたがここで有名な神社仏閣と言えば築地本願寺です。

本願寺から近いですが場外市場を歩いて突きあたりが波除神社です。

ここもこんなところに神社?という感じですが、このあたりは江戸時代は海だったために埋立てを行った人々の歴史と苦労と願いなどの魂が生きています。

波除神社の由来を読むとこの神社の御利益と歴史がよく分かります。神社の起源には様々な伝説が存在しますね。

境内には大きな獅子頭が御神徳の象徴として大事にされています。

築地の神社らしく境内にはすし塚、海老塚、魚塚など料理に関するものが並びます。

帰りに市場をぶらぶらしましたが行列ができているのは卵焼きの山長さんでした。手作業ですから焼きあがるのに少々時間がかかりますので列に並んで待っているところです。

⑥福徳神社 (日本橋)

次に福徳神社ですが場所は日本橋のコレドの合間になります。こんなところに神社があったか?というよりも移すことができないほど由緒のある神社なんでしょうね。

本当に日本橋の高層の商業ビルの合間に鎮座しています。

敷地自体も本当に狭いです。巨大ビルに取り囲まれています。都会のオアシスになるのでしょうかね。

社殿は新しくて明るい雰囲気でした。

⑦鳥越神社 (蔵前)

総武線の浅草橋駅から北に歩いて約10分ですが蔵前橋通りの大きな道路に向いて建っている鳥越神社に参拝します。

この鳥越という名前も昔の由緒があるというのを勉強させてもらいました。これもかなり古い話ですが「前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護とたたえ鳥越大明神の社号を奉った。」(HPより) 11世紀の話ですので相当の古い歴史です。 

実は8日に偶然この鳥越神社を通りかかった時にお焚き上げをやってまして見学することができました。これも縁あってのことでしょうからしばらく見学させてもらいました。

点火され一気に燃え上がります。どんど焼きと呼ばれ正月のしめ縄などを境内で一気に焚きあげます。そしてこの火で餅を焼いて食べると一年間は無病息才に過ごせると言われます。今年は偶然にこんな伝統行事に参加できて私の一年の運気もかなり上昇しそうですね。火事にならないか心配しましたが前もって周りの建物や木々には放水して延焼しないようにしているそうです。

⑧烏森神社 (新橋)

そして最後の満願の場所に選んだのが我が新橋の烏森神社です。いつもたいへんお世話になっている大好きな新橋の街の烏森神社です。あえて最後の満願の場所に選びました。新橋駅の烏森口を出て真っすぐ進みます。右はニュー新橋ビルです。

烏森神社の参道の両側はほとんどお酒のお店ですので初めての人はなかなかここに神社があるとは気が付かないと思います。私は夜しか来ない場所ですが、毎週のようにお参りはさせていただいています。健康に美味しくお酒を飲めるのもこの烏森神社のおかげです。

完全にコンクリート製の社殿ですがいつも御朱印の方やお参りの方がたくさん来られています。烏森神社の起源「940年平将門が乱を起こした時、鎮守府将軍藤原秀郷が武蔵国の稲荷神社に戦勝を祈願したところ白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、秀郷の夢に白狐が現れ神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。秀郷が現在地である桜田村の森に来た所お告げの通り烏が群がっていたのでそこに神社を創建したのが当社の始まりである。」とのことです。(HPより) たいへん歴史があるようです。

左の社務所ですか、ここで満願の御社印と満願シールを頂きました。無事に八福めぐりここ新橋にて満願いたしました。(涙)

ここ新橋界隈もオリンピック後には再開発されて様変わりすることになっています。前途洋々ですが今のこの雰囲気が壊されてしまうのは残念なことですね。長い間ここで楽しませていただきましたし私の人生の一部と言っても良いくらいになっています。 

無事八福めぐり満願成就いたしました、感謝。この福めぐりは色紙ではなくこんなお洒落なオリジナル折帖に特別印を押していきます。各神社には皆創建の由来や伝説や歴史など様々あってとても為になりましたね。江戸時代よりももっと古い東京の歴史を楽しむことができました。   

 

番外ですが日本堤の伊勢屋で天ぷらも食べる機会を得ました。

明治22年に創業した老舗の天ぷら屋です。吉原へ通う人々が腹ごしらえしたことでしょう。

天丼のロを頼みました。今年一年元気の出る味でした。

今年も皆にとって最良の年になりますように。 (25)

2018/1/14