墨田 隅田川七福神を旅する (40) | まあちゃん旅ブログ ~歴史に旅しよう~

    2017新春を迎えましたが東京では江戸時代からの七福神めぐりが大人気です。今回は下町でも江戸時代の水の都は隅田川沿線の七福神を中心に巡って今年の運気を上げたいと思います。(2017/01)

    まだ浅草から吾妻橋を渡りそのまま川に沿って北上し七福神を巡ります。幸いにも良い天気です。

    まずは墨田区区役所で勝海舟の銅像に出会います。これから七福神めぐりに行ってきますと声をかけます。

    まず見えてきたのは隅田公園ですが、江戸時代は水戸徳川家の下屋敷、小梅別邸があったところです。関東大震災により壊滅的な被害を受け現在は日本庭園のある公園になっています。ちなみに隅田公園は隅田川の左岸(浅草、今戸)と東岸(向島)と別れて存在します。

    よく整備されて日本庭園が美しいです。池面に写る景色にも見とれてしまいます。

    まだ寒かったので鳩も丸くなってひなたぼっこを楽しんでいるようでした。

    公園内にある①牛嶋神社にお参りします。ここは勝海舟が10代後半の頃この神社の境内で剣の稽古をしていたことで有名です。神社の名前の由来ですが弘法大師ゆかりの社を再建した際に神像が出土、すると白狐が現れ神像の周りを3度回ったことから三囲の名が付いたとのことです。

    牛嶋神社の由緒が書かれた案内板ですが創建は860年とのことでたいへん歴史ある古社と言えます。

    境内には小梅稲荷神社も鎮座します。震災のためか区画整理のためか牛嶋神社の境内に移されています。

    この牛嶋神社からはスカイツリーがよく見えることが有名です。運気もアップしそうな気がします。

    さて最初の御朱印ポイントを目指しますが、ここすみだ郷土資料館も面白い展示を見ることができます。前回の訪問時には広重の墨堤の図絵を見ることができました。

    さて最初の御朱印神社の②三囲神社をお参りします。恵比寿神・大国神を祀ります。

    三井家との関係が深いことでも知られています。三囲には三井を守る神社という縁起担ぎもあるのでしょう。境内にはかつて三越の池袋店に置かれていた青銅のライオン像が置かれています。

    三囲神社の由緒が書かれた案内板です。

    次は布袋尊を祀る③弘福寺をお参りします。布袋様は七福神の中で唯一実在の僧であるということです。

    ここも若いころの勝海舟が座禅の修行に通っていたと言われます。

    そしてお隣には弁財天を祀る④長命寺です。

    3代将軍家光が鷹狩りの途中で腹痛を起こした際に境内の井戸水で薬を飲んだところまたたく間に治癒したとのこと。家光は喜んでその井戸水を長命水と名付け寺の名前にも使ったということです。

    さらに次の御朱印を目指しますが、途中の道路わきのマンションの一角に榎本武揚の住居跡を発見しました。徳川幕臣として戊辰戦争、函館戦争と戦い抜き明治政府では大臣職を歴任するなど大波乱の人生の老後をここで癒していたのかと思います。

    榎本武揚とか勝海舟こそ大河ドラマに描くのに相応しいと思いますがいかがでしょうかね。

    さらに歩いて北上しますが途中吉備小屋に寄って吉備団子とわらび餅を頂きました。歩きっぱなしで疲れていましたので団子の甘さで元気が出ました。

    いい具合に休憩できましたので次は⑤向島百花園を目指します。ここは都立の公園ですが福禄寿尊が祀られていまして七福神の御朱印をもらいに入園します。

    このお堂で福禄寿を祀ります。

    季節によってはいろいろな花が咲き乱れて心癒される百花園ですが、この時期は寒々として見れる花は少ないですね。スカイツリーがよく見えます。榎本武揚もここで花を眺めながら亡くした戦友や幕臣への思いを癒していたのだと思います。

    榎本武揚の書による碑を見つけました。

    榎本に思いをはせながら甘酒で一服しました。

    百花園から徒歩5分、寿老神を祀る⑥白髭神社です。

    ここも創建が951年とのことでたいへんな古社です。

    ここも寄り道になります隅田川神社ですが古くは水神社、水神宮などとも呼ばれ水神様として親しまれてきた。広重の名所江戸百景にある「隅田川水神の森真崎」と呼ばれる地域もこの辺りでしょう。

    東白髭アパート近くに本母寺の名前を見つけ寄ってみることにしました。このあたりの地名に梅若が使われているように梅若丸伝説に基づいた古いお寺であの広重の名所江戸百景「木母寺内川御前栽畑」にも登場します。

    ガラス張りの建物の中に有るのが梅若堂です。

    この巨大なアパート前の公園に建つ榎本武揚像ですがやや場違いな感もあります。榎本氏も落ち着かないでしょうし百花園かどこかに移してあげた方がよい気もします。

    大型アパートを見上げて武揚殿もびっくりでしょう。

    墨田区では北斎ブームということでこのような案内板をあちこちで見ることができます。関屋の里も浮世絵で描かれています。

    さて吾妻橋から歩き疲れましたがやっと最後の七福神にたどり着きました。毘沙門天を祀る⑦多聞寺です。

    写真を撮り忘れましたがここの隅田川七福神碑は榎本武揚が書いたものです。この墨田区には榎本の書による碑が複残っていますね。地元に愛されていたようです。

    東武鉄道の鐘ヶ淵駅から帰宅することにします。この鐘ヶ淵の名称も亀戸の普門院の鐘を荒川区から移す際に川の中に落としてしまいこの名称が付いたという伝説です。歴史と地名は勉強すればするほど面白いです。

    場所は隅田川の浅草側になりますが待乳山聖天を訪れます。ここも広重の浮世絵に登場しますので一度訪れて見たかったですが、浮世絵の世界を実際に訪れることができてよかったです。

    ここでは大根をお供えするなど変わった習慣を楽しむことができます。

    ご存じ池波正太郎先生もこの待乳山の山裾でお生まれになったのですね。小説にはこのあたりの情景がしばしば登場します。私は今剣客商売を読むことで隅田川界隈のお勉強をしているところです。

    おかげさまで隅田川の七福神を回りたくさんのパワーをもらった気がします。隅田川周辺には江戸時代からの多くの史跡や名所があって季節ごとに景観も楽しめて散策するのに素晴らしい場所ですね。

    他にも七福神はあるようですね。同じ下町巡りということで深川七福神、浅草七福神を近々に回ってみたいと思います。

    皆様にとっても2017年が良い年になりますように。(40)

    http://www.tokyoevent.net/shicifuku.html