その①より

山内にある五輪塔の中でも最も大きい一番石(高さ6.6m)である徳川秀忠の正室・お江こと崇源院の五輪塔です。梵字は上から空風日水地を表して宇宙を意識させています。江戸時代、徳川家はも高野山を菩提所と定めたことで、諸大名を始め多くの権力者が高野山に霊屋や墓碑、供養塔などを建立するようになり、江戸時代初期のものが多く残ります。

そして国の重要文化財に指定されている徳川家康の二男結城(松平)秀康石廟です。はじめは秀吉の養子となったものの後に越前福井藩67万石の城主になりました。結城秀康は慶長12年(1607)に34歳で父より先に他界しました。石造の入母屋造で外壁や柱扉には彫刻や銘文が施されていますがやはり時代を感じます。家康はその死を悲しみこの石廟を築きました。左隣には秀康の母の霊屋があります。

他の墓よりも圧倒的に広い豊臣秀吉の墓所です。豊臣秀吉公、母、秀長公、夫人の墓所ですが当初は高野山も敵と考えた秀吉ですが後に母の菩提所青巌寺(金剛峯寺の前身)を建てるなど援助を行うまでになりました。
織田信長の供養塔です。織田信長は比叡山や高野山の敵でしょうからここに墓のあるのはかなり高野山の度量の広さを表しているとも言えませんか。
こちらは中国の毛利家の吉川家墓所になります。
こちらは徳島の蜂須賀家墓所です。
こちらは岡城のある豊後竹田・中川家の墓所です。
奥の院に向かう御廟橋かかる玉川のふもとに並ぶ水向地蔵です。かつてはこの川で身を浄めてから奥へ向かいましたが、今は地蔵に水をかけて水ごりを代わりにお願いします。
今でも修行を続けておられる大師さまへのお食事が運ばれる時間です。
毎日6時と10時30分に御供所から出て嘗試地蔵(味見地蔵)に味見の上御廟に運ばれます。

奥の院前に出ましたがこちらが駐車場も広く一般の方の参詣入口になるようですね。これから南海バスに乗って他の寺を巡ります。
まずは高野山の中心に位置し全国に3600ある真言宗の総本山の金剛峯寺です。金剛峯寺には豊臣秀吉の五三の桐と右三つ巴の二つの寺紋があるそうです。

門を入るとそのその建屋の豪華さに驚かされます。空海が高野山を開創した当時は、高野山全域を金剛峯寺と称していました。現在の金剛峯寺は真然の廟所で、豊臣秀吉が亡母の菩提を供養するために青厳寺と興山寺を明治2年に合併したものを金剛峯寺と称したものです。
この天井の作りが何とも手が込んでて優雅です。
別殿の数が多くその襖絵は楓、睡蓮、牡丹などそれぞれ違った趣があり豪華です。
この柳の間は秀吉によって高野山に追いやられた秀次が1595年最後に切腹した間です。関白にもなった秀次でしたが、秀頼誕生によりその存在が消される羽目になってしまいました。

蟠龍庭と呼ばれるこの庭は五百坪にもなる日本最大の石庭で、 雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合った姿を表現していて見事です。

高野山の国宝、重文を集めた霊宝館ですが、多くの仏像や秘宝を拝むことができます。旧館と新館がありますが旧館は暖房も付けられず受付でホッカイロをもらいました。
空海が厳しい修行の根本道場として創設した伽藍です。

高野山で最も有名な根本大塔の外観です。大師さまが真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立したものです。塔内の16本の柱などに描かれた仏画が立体曼荼羅を表しています。
伽藍の中央にある山の総本堂の金堂です。高野山での主な行事はこちらで執り行われたということです。
高野山内で最古の建物で国宝となっている不動堂です。1197年行勝上人によって建立されました。現在の建物は14世紀前半に再建されたものです。お堂の四隅はすべて形が違います。当初は阿弥陀堂であったと推定されていますが、後に不動明王を本尊とし、八大童子(はちだいどうじ)が安置されました。この八大童子は運慶の作として現在は霊宝館に収められています。
壇上伽藍中門です。1843年火災で焼失しましたが現在再建の最中でした。

バスの中から撮りました苅萱堂です。親子の名乗りをあげられず修行に明け暮れたという苅萱道心と石堂丸の物語のお堂です。
高野山の西の総門である大門です。何度も落雷による焼失を繰り返し現在の建物は1705年に再建されました。二階二層門で高さは25.1メートルあります。

門の左右には金剛力士像が安置されています。開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体一対として、寺院内に入る仏敵が入り込むことを防ぐ守護神の役割をしています。
高野山に至る信仰の道は7つあったそうですが、そのそれぞれに女性の籠り場所して女人堂が設けられました。 その中の高野街道京王坂道の不動坂口にはかつての女人堂が残っています。
かつては女人禁制でしたので女性のために女人堂が作られました。
あいにくの雨の中、ケーブルの高野山駅に戻ってきました。山内をうまく巡るには南海バスをうまく使いこなすことですね。
天気ですといろいろ景色も楽しめるところですが雨の多いのも高野山の特長だそうです。

来年はおめでたいことに高野山開創1200年を迎えます。外国人も大挙して来ると思いますが国際化にはまだ躊躇しているところもあるかもしれないですね。

南海電車にて心一新帰郷します。

初の高野山でしたがここは他の観光地ではなく1200年前から続く空海の教えと今も修行を続けるその精神と魂を感じる場所だと思いました。以前は高野山と言うと近寄り難い雰囲気を感じましたが、お坊さんも真摯で優しく暖かさを感じました。にこれからも大師さまと一緒に修行していきたいという人々が集まることでしょう。(32)

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