翌日は朝松山から電車で宇和島にやってきました。宇和島は予讃線の終着駅ですので車止めの先はもう線路はありません。

現存天守12城の一つ宇和島城を初めて訪問します。

城の南側にはこれも現存の上立門をくぐって登城します。

1595年に入封した藤堂高虎が現在の城の基礎を築いたと言われます。その後1615年に伊達政宗の長男伊達秀宗が入るなど歴史に登場します。切石によって積まれた切込ハギの石垣の上にこじんまりとした3重3階の城ですが唐破風造玄関もあって上階には千鳥破風などの装飾が施されるなど平和的な雰囲気が漂います。

層塔型天守の3階です。

この玄関には九曜紋、宇和島笹(竹に雀紋)、竪三引両紋の3つの家紋を見て取れますがこれはたいへん珍しいということです。
 

階段は急ですが踊り場がある天守は初めてでした。

層塔型は同じ構造を積み上げて上の階ほど面積が小さくなるものです。

1階にある廊下・武者走りの眺めです。
天守からの眺めは素晴らしいですね。仙台から宇和島に来た伊達秀宗もこの景色を眺めて松島の海を想ったのでしょうか。宇和島伊達家は明治時代まで存続します。
小さいお城ですが魅力の多い名城です。
伊達政宗は秀宗の宇和島入部にあたり自分の家臣の中から57騎を秀宗に付けたとのことで宇和島でも特別な家系とされているそうです。伊達博物館ではこの57騎の家にに伝わる品の展示を行っていました。

宇和島から予讃線で松山を目指します。途中通った伊予大洲車窓から見えたのは大洲城です。こちらも藤堂高虎が大きな改修を行った城です。時間があれば寄りたかったですが現在のはあくまで最近の再建の城でしたので次の機会にします。

松山駅から特急しおかぜに乗り換えて丸亀に向かいます。この電車はしおかぜといしづちが連結されていて途中で岡山と高松行き分かれます。

今治を過ぎたあたりで左側の車窓に今治城が見えました。こちらも藤堂高虎の設計です。高い位置に見え舞ますが瀬戸内海から水を引いた内堀が現在も残っており瀬戸内を望む海運の水軍の拠点となっていたそようです。

途中車窓からの瀬戸内の景色は素晴らしいですね。目の前すぐまで海が迫っています。

初めて丸亀駅に降り立ちました。ここから名城を目指します。

駅から商店街を抜けて歩くこと約10分ですが正面に丸亀城が見えてきました。その高さと積み重なる石垣の膨大な量とそのスケールに早くも圧倒されます。 

正面の高麗門から入って追手門から登城します。
追手門を入って天守を目指します。
高台の本丸にこじんまりとした天守がちょこんと乗っています。
こじんまりとした3重3階の天守ですがあの京極高次の孫にあたる京極高和入封時に完成したといわれます。
天守2階の急階段の様子です。
天守3階の様子ですがこじんまりした部屋に柱が多く感じます。
それほど戦略上重要な地とは思えない丸亀城ですがよくこれだけの城や石垣を作り上げたと感心してしまいます。

北側のみに向唐破風や石落しが付いています。

比較的小さい石垣を使って積み上げていることに特長があるようです。
独特の積み上げ方ですね。

さすがに石垣の丸亀城と呼ばれるだけのことはあって見事な高石垣の高さと勾配はスケールが大きいですね。

月見棟からの眺めですが目の前にさぬき富士の飯野山が良く見えます。

これだけの石垣を積み上げたこの景観は見ごたえがありました。
高松空港から帰路につきますが空港でもやはり夕食はうどんです。釜揚げうどんと名物のじゃこ天が美味しかったです。

さぬき高松空港を後にします。


今回の旅でまだ訪れていない四国の名城をほぼ制覇することができました。全国の現存する12天守のうちの松山城、宇和島城、丸亀城に登城しましたし、さらに車窓から大洲城、今治城と見ることができ今回の城めぐりはとても充実し楽しく終えることができました。 最後に食べた〆のうどんも美味でした!。 (33)

その①へ