大友氏館跡は最初の庭園跡の発見以来20年目の調査が行われており今年で38次調査の最中です。庭園は20年4月の公開に向けて整備が進めらられています。今回はその整備工事の状況の現地説明会に参加しました。

私がかつて広大な大友館のあった現場に入るのは初めての体験です。これまでは場所は知っていましたが立入り禁止でしたし外からは中の様子は分からなかったです。今回は発掘の現場に入ることでそのスケールと当時の様子を感じてみたいと期待します。

大分市主催の大友氏遺跡現地説明会当日の受付のテントが建っています。この広場一帯がかつての大友館のあった場所です。

9月30日にはこの敷地の中に南蛮BVNGO交流館が開館しています。

大友館の復元のイメージ図ですが縦横200メートルのほぼ正方形の広大な敷地に様々な施設が建てられていたことが分かっています。発掘調査はもちろん義統の残した「當家年中作法日記」なる資料によって当時の様子を推測できるということです。

ここは館の中心建物があった場所です。南(左)と北(右)に2棟あり写真が左の主要建物です。

このような立派な主殿が中心に建てられていたということです。

北の部分には礎石が見つかっていないものの整地された地角が見つかり何かの建物があったようです。

中心から北の敷地には大量にかわらけの発掘された遺構を見ることができます。

当時は食事に使われた食器のかわらけはそのまま再利用せず捨てていたようでそれがここから出土していたと思われます。

かなり深いところまでかわらけが埋まっていることが分かります。

敷地内はあちこち発掘が進んでいることが分かります。

南側の現在の10号線向きの中央には正門があったようでそこから白玉砂利を敷いた通路が真っ直ぐ本殿へ伸びていたようです。

次に庭園の発掘場所ではジュニアボランティアが説明をしてくれました。提案には縦60メートルにもなる池があったとのことで織田信長や大内義隆にも負けない規模であったとのことです。

現在は再来年の完成を目指して池の保存と再現をすすめているということです。特に岩の配置に工夫がされているとのこと。

岩は宗麟の頃のそのままをリアルに再現するために新たに同じ形のものを新たに砂から作ったりプラスチックで再現したりと試行錯誤を繰り返してきたそうです。

当時の再現CGがありましたが中島に松が植わっていたなど細かい状況も再現されます。植わっていた木々も出土した種子や花粉から推測できるのだそうです。

お、おや! 見学会に武将の姿が!

こちらのプレハブの施設ではこれまで20年の発掘調査の模様をパネルで振り返ることができます。

今後ますます交流館での情報発信が増えてくれることに期待したいです。

交流館の前には大友氏に関連する施設が解説付きで掲載されています。知らなかった由縁もあってなかなか勉強になりますね。

これらの史跡の他にも例えば鶴崎踊りや浜の市など大分には大友氏を発祥とするその風習や習慣があることを知って驚かされました。

恐るべし、大友氏館。あるはずの調理場施設などが未発見のため今後も発掘調査は続い行くとのことです。

この秋大分では大友宗麟や府内城に関するイベントが盛りだくさんでした。大分市民として尊い歴史の上に今の我々がいることを勉強できて新たな誇りを感じることができた秋でした。

 

その2

またこちらは大友氏とは関係の無い府内城の三の丸ですが、旧荷揚町小学校にて府内城三之丸武家屋敷跡跡地の発掘調査が行われていますので覗いて見ました。

現在の市役所と荷揚町小学校を挟んだ道路は北広小路と呼ばれていたそうです。

三の丸についての紹介が載っています。

この地域は現在の天守・本丸から歩いてすぐの2,3分の距離にあります。藩主の側の仕えた上級家臣たちの屋敷です。

7軒分の屋敷の区割と住人の名前まで分かるのが貴重ですね。

屋敷跡から名前の書かれた器が出てきたのが面白いですね。皿に名前が入ってるんですね。

当時の屋敷の構造や使われていた生活道具も発掘されていて貴重ですね。トイレは埋甕を使っていたのですか。

以上、時代が少し違いますが歴史を身近に体感できる二つの発掘調査についてお勉強ができました。

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