今日は府内城の宗門櫓の保存修理現場の見学会が開催されますので参加しました。大分の府内城では江戸時代から残る櫓が存在します(宗門櫓、人質櫓)が宗門櫓は傷みが激しいために昨年から修理が行われており、本日はその状況が公開されましたので見学しました。
朝は10時から現場見学会に参加しました。前回の見学会が台風の影響で延期されていましたが今日は良い天気です。
宗門櫓は覆われていますが内側から見ると2階建てですが外から見ると平櫓に見えるという特徴があります。
解体時の様子がパネルで紹介されていますがかなりシロアリでやられている柱もあって歴史を感じさせます。
5000枚はある瓦もすべて降ろされています。細とか幸崎地方で焼かれた大分の地銘があるそうです。傷みの激しい瓦は交換されます。
壁の土も塗り直しですがもともと使われていた土に新しい土と藁を加えて練り直して熟成させたものを使うのだそうです。この大きさの土団子が13000個ほど必要になるそうです。
横の土のプールでは土塀用の土が混ぜられて熟成中でした。
ヘルメットを被っていよいよ宗門櫓の中に入ります。ヘルメットが天井に当たるくらい狭いです。
下階の部分はすでに荒壁仕上げが終わった状態です。竹を組んだ骨組みに土を厚く塗って仕上げていきます。
壁の構造は竹を縦横に組んで骨組みには縄を巻いて結び目を伸ばして余りを伸ばしていきます。小舞組みと呼ばれます。土が剥がれ落ちないような工夫です。
上の階の内部の様子です。やや曲がった大木が梁に使われているのが分かります。
木材は基本的に当時のままを残していますが、所どころ白蟻などの傷みがあるところは補強したりしています。
面が多いため全体の壁の仕上げにはまだ相当の日数がかかりそうです。400年前の資産を保存して未来に向けて残していくことは大変な作業です。
鉄砲挟間も用意されています。
石落としもしっかり用意されています。
宗門櫓につながる土塀も工事用に削られていましたのでその構造も確認できましたが、ブロック状の土を詰み重ねて厚さを出しているのが確認できました。
塀の内側には武者走りのスペースがあるのが確認できました。
外から見ると宗門櫓には覆いがかかったままです。狭間や石落としもあるので防御としての機能も万全でした。
四重の天守があったといわれる府内城ですが夜のライトアップがきれいですね。
当時は城の北東は海に迫っていたようで防波堤の役割の帯曲輪の跡が現在も残っています。
現在は桜の小道の公園になっていますがこれが帯曲輪の跡です。この右側には海が迫っていたということですね。お桜がきれいですし秋の生活文化展では出店もよく出ていました。
こちらの人質櫓も江戸時代から残る櫓の史跡です。機会があれば中を見学したいです。
現在は府内城の中に案内所があって丁寧にボランティアの方が説明してくれます。
初期のころはコロコロと藩主が交代していますが大給松平になったからは幕末まで続きます。
現在大分市歴史資料館にて府内城のCG模型が展示されていますのでこれで当時の様子がよく分かります。海に面していたとは現在からは想像できなかったですね。
当時の4重の天守の復元図もあって非常に誇らしいですね。1743年の寛保の大火事で天守を含む城全体が焼けてしまい天守は再建されませんでした。
100名城になっていながら今一つ知名度の低い府内城ですが、良く調べてみると現在残る内濠とは別に現在の大分駅前を含む大きな外濠が存在していたことや四重の立派な天守閣もあったことが分かりました。また現在まで残る宗門櫓や人質櫓などもたくさんの魅力がいっぱいです。もっと府内城や大友館については勉強してみたいです。
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