大分県では国民文化祭の秋ですが、豊後の国はかつて小藩が分立していたこともあり独自の文化と風俗を醸し出しています。個人的に最近注目している日出町はとても明るく、海がきれいで歴史ある街でとても気に入っています。再来週にはザビエルの道ウォーキングとかもあって歴史を楽しむこともできます。

 

日出城の概要図です。この日出城は初代藩主になる木下延俊が1601年に細川忠興の縄張りを基に築城した城です。延俊は秀吉の正室のねねの兄の三男になりますので木下性を名乗っています。この血筋の関係で日出城には秀頼の子供(国松)が潜伏していたという伝説も伝わります。墓と位牌も残っているので別の機会に見に来たいです。

天守台と海に続く道が眩しいです。こんな眺めの良い城も珍しいのではないでしょうか。

しっかりとした石垣も美しいです。春は桜がきれいとのこと。

石垣の間の空堀なのか道なのか分かりませんが、その先にはキラキラ光る別府湾と高崎山が見えています。昔の人もこの景色を眺めていたのでしょうね。

海に出てこんな景色を眺めていたら戦どころではないですね。魚も美味いでしょう。ザビエルもこんな山口から歩いてきてこの海を見たら豊後が希望の国に見えたのではないでしょうか。

城の北東側の鬼門を守る鬼門櫓です。

鬼門櫓内の柱に歴史を感じます。

2階に上がることもできますが土塀しかありませんでした。

案内板によると17世紀に造られままが残り移築されたものですがから作りは当時のままと言って良いでしょう。

北西隅櫓跡には施設が建っています。

 

鐘楼です。

日出城で時鐘として使われていたようです。

1858年創立の大分県内では唯一の藩校です。

座敷からの眺めは素晴らしいです。別府湾が一望できます。当時の人もこの景色を楽しんだことでしょう。

藩校などの気風で帆足万里のような優秀な儒学者が出たのでしょう。

三浦梅園(安芸)、広瀬淡窓(日田)と豊後の三賢と言われているとのことですが、小藩分裂の歴史であちこちから賢人が登場するのが大分の特徴です。

滝廉太郎の銅像もありました。この方もあちこちに像がありますね。

敵廉太郎の実家の墓所があるようです。

二の丸御殿の後は観光案内所になっていました。

そして一度は寄ってみたかった御存じ的山荘です。

ここのお屋敷の作りも眺めも素晴らしいですがやはり城下カレイを一度じっくりと味わってみたいですすね。大分では関サバや関アジよりもランクは上と聞いたこともあります。何かお祝いのある時とかにもう一度来たいです。

皇族の方の植樹がたくさん見られました。

城下カレイの赤ちゃんが泳いでいるのを発見しました。

これでも立派な城下カレイなんでしょうね。

旧日出藩の菩提寺の松屋寺です。以前からこの看板が気になっていたのですが。

二代目藩主の木下俊治が府内城から持ち帰った大ソテツと言われています。

本当に大きいですね、当時からあったものでしょうか。

めったに寄ることが無いですがJR中山香駅です。

ホームでぼんやりとたたずんでいたらソニックが通過していきました。

帰りに日出暘谷駅にも寄ってみましたが駅の周りの開けていることにビックリ!、都会じゃないですか。日出なのでもっと田舎(失礼)と思っていました。

 

景観も良くて歴史があって温泉もあるみたいなのであとは何かB級グルメがあるともっと人気出そうな街です。上の地図でももっと寄ってみたい所がありました。 また再来週にはザビエルの道ウォーキングに来ます。楽しみ。

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