仕事で小倉から山口市に向かいます。日帰りですのでほとんど時間は無いですが思うところあってサビエル記念聖堂には寄ってみるつもりです。県庁からはすぐ近くのようです。
小倉駅からこだま号に乗ったのですがまだRailstarが頑張っていました。
このツートンカラーはなかなか見れなくなっていましたね。
途中、新下関の次に厚狭駅に停車しました。私の知識が乏しいせいかこの駅は初めて見たかもしれないです。山口県内には新幹線の駅が5つもあるんですね、驚きです。
新山口駅に着きましたがどこも暑いですが空には気持ちの良い雲が浮かんでいました。
駅からはバスで県庁方面を目指します。駅の待合所はなかなかお洒落ですね。
市役所前でバスを降りサビエル聖堂を目指します。高台には空に突き出たシンボルの二本の塔が見えてきました。山口市のランドマークになっているそうです。時おり鐘の音色が鳴り響きます。
白い外観の建物ですがフランシスコ・ザビエルが山口で布教活動を行って400年の記念に1952年に建てられた聖堂です。私は大分ですがザビエルは山口の布教の後大友宗麟に招かれて大分府内で布教を行います。その縁で山口のザビエルの聖堂に来てみたかったです。
当時ザビエルをもてなした大内義隆も登場するステンドグラスです。
礼拝堂にも入ることができます。様々意味を持ったステンドグラスが美しいです。
無人ですがパイプオルガンの音色が響きます。
ザビエルの聖骨の一部もこの聖堂に保管されています。
不思議な蟹が展示されています。この蟹は甲羅に十字架が浮かんでいるように見えるためザビエル蟹と呼ばれています。案内によるとザビエルが布教でマラッカの近くで嵐に合った際に身に着けていた十字架を海に投げたところ嵐が収まったとのこと。その後マラッカの浜では十字架を背負った蟹が見られるようになったいうのことです。
大内義長の布教許可状が展示されています。義長は豊後大友宗麟の弟で義隆に猶子として迎えられるなど豊後大友家とつながりが深いのです。
キリシタン学校の説明に府内のセミナリオも紹介されていますね。大分にもセミナリオ跡が残っています。
大分ではペトロ岐部神父として有名な方ですね。
礼拝堂を出るとちょうど日本二本の塔が天に向かっているのを見上げることができます。
さて聖堂を出て亀山公園を歩きます。涼を求めると噴水が気持ち良いですね。
出来れば亀山公園の山頂広場まで行って長山城跡を見学したかったですがこの日は整備工事中で立入禁止になっていました。毛利敬親・そうせい公の騎馬像も見てみたかったですが残念です。
ところが県立美術館ではちょうど敬親展が開催中とのことでしたので涼みがてらに見学させてもらいました。19歳でたまたま藩主になってから幕末の長州という激動の真っ只中を生き抜いた方ですね。並大抵の精神力ではなかったでしょう。
幕末と言えば長州には明治維新の立役者が多く揃っていますがこれも敬親藩主の寛大さの成せる技でしょう。よくドラマでは家臣の前で「そうせい」と一任する場面が出てきますがこの寛大さ、懐の深さ、自由さが明治維新に向けた長州の起爆力とつながったのでしょうかね。
こちらは山口県庁ですがこちらに敬親の史跡があるので見に来ました。
県庁の正面に建つこの門は1864年に藩主の敬親が藩政を萩から山口へ移すために築造した山口城のものと伝わっています。周りには堀もあり確かに城跡の雰囲気が残っています。
山口城跡を案内する看板です。
さて時間も無くなってきましたので帰路につきたいのでJR山口駅にやって来ました。山口駅は想像したよりはかわいらしい駅でないですか。新幹線の駅の方が中心になっているようです。
ローカル線の車両です。
大分と共にJリーグを盛り上げているレノファ山口です。大分もそうですがJ1よりもJ2の方が地域に根付いているような気がします。
特に珍しくは無いですが九州新幹線のさくらです。
これに乗ると鹿児島まで行けてしまいます。
新幹線さくらです。
またRailstarがやって来ました。
こちらは博多までの新幹線です。
山口と大分は当時から関係が深く大内義隆と大友宗麟はもちろんザビエルの布教地としても繋がりがあったことも確認できました。しかし戦国時代の頃に外国人が日本で布教活動を行うということは想像を絶する苦労があったと思います。信仰の力の成せる活動だったのでしょうね。その努力が結実して400年超たった今でも信仰が受け継がれていることは素晴らしいですね。近いうちに天草や長崎、五島のキリシタン文化も見て回りたいと思っています。
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