会社の仲間と東京の名城を訪ねる旅に出ることになりました。まずは有名な八王子城を訪問しその後で滝山城に向かいます。(2018/04)
JR高尾駅に降り立ちました。お洒落な高尾駅から電車が停まるたびにハイキングスタイルの人たちがたくさん出てきます。
ほとんどは高尾山に向かうお客さんの様ですね。バス停には長蛇の列ができています。
土日だけ八王子城に向かうバスが出ます。乗る人は比較的少なそうですね。
八王子城跡のバス停で降りましたら登城の途中にガイダンス施設がありました。ここで情報収集します。
中では後北条家の歴史をビデオで事前勉強しました。
八王子城は小田原に本城を置く後北条氏の三代目氏康の三男氏照が築いた山城です。1587年頃には完成していたようです。
いよいよ登城開始です。
小道を進みますといきなり堀切が出て来て敵の侵入を拒んでいるのが分かります。
城のあちこちに巨大な土塁が築かれ敵の侵入を防ぎます。外側は高さ10メールにもなります。
御主殿跡も発掘されて明らかになった場所ですが石段が何層にも組まれた構造です。ここは八王子城の広告写真によく使われる場所です。
発掘調査により当時の積み方がそのまま露出した場所も見て取れます。石に丸みが無いですね。
門の礎石を含めて御主殿への石段も当時の雰囲気をの残します。ここを氏照も通ったことでしょう。
高さがある歩きにくい石段を登ると御主殿入り口になります。
橋は新しいものですが当時も御主殿の入口に簡単な曳橋があったようです。
石垣階段を登るとかなり広く開けた御主殿跡の広場が一望できます。背面は山なので時々猿や猪も出るそうです。
本当の礎石は下に埋められていますがここに氏照の居館(御主殿)であったようです。発掘調査は続いており皿などの多数の遺物が発掘されています。
なんと居館横には枯山水のような庭園と池があったようでそのままの石の配置が露出しています。
後北条家の家紋を思い出させる三角形の石が突き出ています。
会所跡です。この奥の森にも何か建物があった可能性もあるそうで今後の発掘待ちです。
御主殿跡から本丸に向けての山に入った小道には当時の石垣が露出しています。独特の石積み方法を確認できます。ここを登っていけば本丸に辿りつけたそうですが現在は封鎖されています。 本丸は別の機会に訪れたいと思います。
水源は豊富なようですぐ近くに御主殿の滝と呼ばれる滝がありました。落城の際には多くのご婦人が身を投げたと伝わります。
1590年秀吉に小田原城を攻められた際に徹底抗戦を主張しましたが八王子城が上杉景勝、前田利家に攻められ落城。小田原開城後に秀吉から主戦派と見なされ兄・氏政と共に切腹を命じられました。後北条氏の滅亡につながった悲しい運命の城でしたね。
さて八王子城を後にし高尾駅から八王子駅にやってきました。恐らく降り立ったのは初めてではないかと思います。次の滝山城へ向かうためですが途中ユーロードにて昼ごはんをいただきます。
ユーロードにあるスープカレーの有名店、ガラクに並びます。
札幌の名店ということで一度八王子に来たら食べてみたかったのですが、チキンレッグのスープカレーは野菜が大きく美味かったです。
さて駅からバスに乗って約15分、滝山城跡に向かいます。八王子と言えば八王子城が有名で100名城に登録されていますが、北条氏照は八王子城へ移る前にこの滝山城を拠点にしていました。
大手口と思われる天野坂からの道は細く両側からの攻撃を受けやすい構造です。
小宮曲輪と呼ばれる土塁からの眺めですが上がってくる敵兵を狙い撃ちできる仕組みです。今は木々が森のようになっていますが当時は木々は無く丸裸で敵が隠れるところが無いようになっていたようです。
今回はガイドに従って堀の底部を歩いて見ますが一面の竹林になっています。
竹藪から新たに竹の子が顔を出しています。
城内にある弁天島の跡ですが中の島を作り舟を浮かべて接待の場に使われたのではないかと言われます。氏照の弟の氏邦の鉢形城と同様の構造になっています。
中の丸の広場です。
中の丸からの眺めですが川の合流点でもあり交通の要所でもあった北側も警戒していたようです。
分かりやすい案内板がありました。
本丸も広々といて”兵どもが夢の跡”という感じです。
本丸には滝山城跡の碑が立っていました。
現在は立派な木橋が架けられていますが当時も引橋が本丸前に掛けられていたようです。
滝山城はほとんど石垣を使わずに土塁だけで山の傾斜を利用して大きな曲輪を作り上げていました。滝山城も続100名城に登録されてやっと地元の人にも知られるようになってきて観光客も増えることでしょう。 (35)