次に新撰組が戊辰戦争で活躍することになった伏見の史跡を回って見ます。新選組は伏見鎮護という名称で伏見奉行所に置かれ、幕府軍(大阪)から見れば京の薩長への最前線におかれたことになります。
こちらは伏見桃山駅前の様子です。
伏見と言うとどうしても寺田屋を覗いてみたくなりますね。坂本龍馬は新選組とは直接関係はなさそうですね。
確かにこの街は龍馬に関する史跡も多く存在します。
さて御香宮神社を訪れます。境内で湧く水は飲むだけで病気を治したことから清和天皇から御香水の名を賜ったとのことです。戊辰戦争では薩摩軍の陣地が置かれていた場所です。南方向のすぐ目の前にある伏見奉行所の幕府軍に向けて砲弾を浴びせることになりました。
伏見ということで良いお水が湧くということもありますが、御香水をもらうこともできます。
豪荘な表門は伏見城の大手門を移築したものだそうです。
境内には戊辰戦争の名残の碑が建っていました。
鳥羽伏見の戦いについて解説が出ています。
境内には絵馬を奉納する絵馬殿があります。金毘羅宮で一度見たことがあります。
日本号の槍の話も福岡市美術館で実物を見たことがあり知っていましたが、伏見での話だったとは知りませんでした。こういう表示があると勉強になりますね。
その薩摩藩から2,300メートルの伏見奉行所跡です。住宅アパートの隅に碑が立っているのを見つけました。
伏見では新撰組は賊軍という見方をされ、近藤勇は銃弾に撃たれ、井上源三郎を失い、3分の2以上の隊士を失うなど総崩れのまま大阪に逃れます。が、既に総大将徳川慶喜が江戸に脱走した後でした。
新選組が伏見鎮護として布陣していた伏見奉行所跡ですが、目と鼻の先の御香宮神社の薩摩軍に攻撃されて淀へ撤退することになります。薩摩軍の大砲の標的にされました。
京都と伏見を結ぶ竹田街道にかかる京橋のたもとに伏見口の戦い激戦地跡碑が建ってます。薩長の新政府軍と会津、新選組など旧幕府軍の間で激しい戦闘が行われました。伏見の戦いではこの京橋付近が大激戦地だったとことで寺田屋も全焼したのでしょう。
確かに寺田屋もその水運に恵まれて賑わっていたのでしょうが、不運にも戊辰戦争の際にも新政府軍と幕府軍の最も激戦の場所となってしまい、被害が拡大しました。
碑文です。
京橋の案内板も立っていました。
伏見桃山駅の前にある京和食の名店、魚三郎ですがこの店にも戊辰戦争の爪痕が残ります。
店の格子戸京のは弾丸の跡が残ります。新撰組は刀で戦ったと言いますのでこの弾丸は薩摩軍のものでしょうね。
碑文がありましたので分かりやすかったですね。
伏見の街は桃山丘陵からの地下水が湧き出るせいで酒造メーカが立ち並びます。ここは月桂冠大倉記念館で酒作りと日本酒の歴史を分かりやすく紹介してもらえます。
黄桜記念館、お酒と食のテーマパークです。CMでお馴染み河童の資料館を兼ねています。
新選組は京都にいる間は全盛期でしたが、薩長の銃器に押され徐々に敗退と逃走に向かいます。その短い活躍の舞台を見て回り兵どもが夢の跡と感じましたね。伏見の酒も歴史の味がします。(22)