天下分け目の激戦が行われた関ヶ原に一度行って各陣所を回ってみたいと願っていましたが、秋の陣跡制覇ウォーキングがあるとのことでこの機会に応募して思い切って行って来ました。まだ夏の暑さが残っていまして相当疲れましたが参加して良かったです。まずは前日に大垣を訪問し石田三成の陣地だった大垣城を訪れ、さらに垂井から関ケ原まで歩いて土地の雰囲気を味わいました。
いきなり東京から関ケ原は移動が大会に間に合いませんので前泊してまずは大垣を訪れます。初めて来ました大垣駅ですがすぐに大垣城へ攻め込みます。
大垣城は関ヶ原の合戦前に石田三成が西軍の陣地とした場所で西軍の多くの武将たちが集結した重要な場所です。昭和まで残りいったんは天守等が国宝にも指定されましたが1945年の大垣空襲により天守や櫓などが残念ながら焼失してしまいました。現在の天守は1959年に郡上八幡城を参考に復元されたものです。ほぼ資料館という感じですが関ケ原に乗り込む前でテンションが上がります。
ここ大垣市船町と桑名市 を結ぶ水運は明治以降も盛んであり、明治16年には蒸気船の定期航路も開設され、名古屋(熱田)~桑名~大垣と船で結ばれていたとのことでビックリです。その時に活躍した木造の住吉燈台が残ります。
さてここ垂井からは関ヶ原までかなり距離がありますが既に南宮山が見えているのでここから国道21号線を歩いていくことにして少しでも当時の雰囲気を味わいたいと思います。駅を降りてすぐの山麓には西の吉川広家、安国寺恵瓊の陣屋や東の池田輝政陣跡があります。
途中山内一豊陣跡が見えてきました。合戦時は南宮山に陣取る毛利秀元・長宗我部盛親などの押さえを担当したが、東軍に通じた吉川広家隊が南宮山に蓋をしていたために特に戦闘は無く先の小山会議での発言が功績とされ土佐20万石を与えられました。
垂井から歩くこと約1時間、桃配山に徳川家康の最初の陣地が見えてきました。家康が赤坂陣から駕籠にのって移動し最初に着陣した場所です。うっかりすると見落としそうですが幟が立っていて分かりました。今回のウォーキングのコースには含まれませんので今日来て良かったです。
壬申の乱のおり大海人皇子が名産の桃を全兵士に配り戦いに快勝したところからこの名が付いたとのこと。縁起を担いだのかも知れませんが後ろの南宮山は西軍で満ちている危険な場所であることからここの西軍は既に動かないという取決めがあったのではと言われます。
実際に家康が座ったと言われる腰掛石と机石などが見れて感動ものです。主戦場から少し離れているために戦況が分かり難かったのか家康は不機嫌がピークでイライラしていたと伝わります。
さて本番の前日ですが十分くたびれる程歩いて関ヶ原駅に着きました。思ったよりは小さなこじんまりとした駅ですね。関ケ原町は現在人口7250人の町ですからこんなものかもしれませんがその昔ここで10数万人が戦闘を繰り広げたのだから驚きです。
ホームの看板にも関ヶ原合戦の雰囲気が出ています。テンションが上がります。明日が楽しみです。