さて筑前・福岡を離れて黒田官兵衛の居城であった中津城へ向かいます。博多からは鹿児島本線で小倉経由、日豊線を下ります。現在は黒田官兵衛が有名になりましたが以前の郷土の有名人は福沢諭吉だったですね。秀吉の九州平定後九州の国分けを行い官兵衛に豊前国6郡12万石を与えたことが始まりです。
人口8.5万人の市ですがなかなか歴史があって黒田家に関する史跡も多いですので歩いて回ってみます。
駅から歩いて約20分、河口の方に向かって中津城の天守閣が見えてきました。
中津城の天守閣は模擬天守ですがなかなか見栄えが良い立派な天守ですね。このたび続100名城に認定されています。
さっそく天守閣に登ってみました。河口に建つ中津城は堀に海水が引き込まれているため日本3大水城の一つと言われています。(中津城、高松城、今治城) 濠の水も潮の満ち干によって上下します。潮の香りがして水鳥が飛んでいます。
歴代城主は黒田から細川氏、小笠原氏と替わり奥平氏に引き継がれました。
奥平家は家康の血を引く名家なのです。
この鳥居強右衛門勝商の長篠の合戦の逸話と磔の絵は有名ですね。その他、長篠の戦いを描いた長篠合戦図大掛軸、武田信玄から拝領した陣羽織、徳川家康からの軍法事書など古文書類が展示されています。
反対側から見た天守閣の様子です。お濠のすぐ上に天守閣が突き出たような外観です。
城の石垣ですが、黒田時代の石垣とその後の細川氏の時代の石垣の境目を見ることができます。右が黒田時代の石垣です。
石垣についての解説が分かりやすいです。
城を見守る猫ちゃんが印象的です。
最後に天守閣を間近から眺めてみました。黒板張りが強くて男性的な外観を醸し出しています。
「我、人に媚びず 富貴を望まず」と言ったかどうかは不明ですが官兵衛らしい言葉ですね。
そして歩いて5分、ここも一度寄って見たかった外壁が真っ赤に塗られた赤壁寺と呼ばれる合元寺です。ここは官兵衛の陰の部分と思いますが、抵抗を続ける宇都宮鎮房氏をでっち上げの婚礼話で誘い込み謀殺したと伝わります。何度塗りなおしても家臣の血が浮き出る為に赤壁にしたという伝説です。
本当に宇都宮氏の怨念が溢れているような恐さすら感じ、背筋が寒くなります。
こちらは黒田官兵衛の末の弟が開祖という西蓮寺です。寺町という古い町並みですがたくさんのお寺に囲まれています。官兵衛と関係あるお寺も多いと思われますね。
また近くには福沢諭吉の旧居があります。
今はすっかり黒田官兵衛に町の主役の座を奪われてしまいましたようで、ひっそりとしていました。
さてこれで中津の旅も終わります。駅前で福澤諭吉が見送ってくれているようです。
心なしか駅前の諭吉さんも郷土の看板を黒田官兵衛に取られて多少不機嫌になっているように見えませんか。
大分駅まで戻ってきましたがこの大分駅のホームにて素晴らしい写真を撮ることができました。これは諭吉さんのお導きでしょうか。九州のカッコイイ特急電車の揃い踏みです。 右と中央はソニック、左はつばめ型にちりんです。
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