大分は第13回大野川合戦祭りというのに行ってきました。大野川合戦というのは、HPから引用しますと「今から423年前の1586年12月12日、鶴賀城の麓、戸次川原で、長宗我部・十河・仙石三大名の連合軍に大友軍を加えた六千余と島津軍二万五千が激突するのです。大友方は多勢に無勢の上、仙石秀久の無謀な戦術に巻き込まれ全滅に近い憂き目にあうこととなったのです。」 この歴史は戦国時代好きであれば司馬小説にもよく出てくるので分かるのですがまさかこの舞台の大野川で合戦祭りをやるとは・・と最初は驚きでした。この戦いで最も可哀そうなのは長宗我部元親で最も目をかけた長男・信親を戦死させてしまいその後はやや乱心めいて家の滅亡を早める結果になるわけですね。近くに信親の墓もあるので以前お参りしたことあります。大野川はなかなか歴史の舞台そのものの場所であり、合戦祭りは毎年行きたかったので今年は天気も良い中参加でき大いに楽しめました。

 

今回は大分駅から豊肥本線に乗って竹中の駅から大野川河川敷を目指します。竹中駅は無人駅だったのでSUICAも使えなかったですが、この近くには南こうせつさんの実家のお寺(勝光寺)も存在し竹中駅は歌詞に出てくることで有名になりました。歩くこと約20分で大野川の大南大橋を渡ります。何とも美しい川ですが大分の人であれば皆知っている大野川です。この川の景観は昔も今もあまり変わっていないのではないでしょうか。ここがかつての大戦争の歴史の舞台です。かなりローカルな話になりますがこの近くの鶴賀城にて島津との緒戦が行われました。大友側の武将、利光宗魚が城に籠って防戦しましたが島津の大群に攻められて降伏開城となってしまいます。その後は秀吉の援軍が大勢で押しかけて島津勢とこの川で大戦です。

橋に幟も立っています。会場の様子がだんだん見えてきました。よく見ると左の方に騎馬隊も見えます。

反対側では特設のステージができて何かのショーが行われているようです。

河原に降りてみると多くの出店が出ています。テンションが上がってきました。

ステージに行ってみると長宗我部元親に扮した役者さんが大野川合戦のいきさつを分かりやすく話してくれています。お客は河原にゴザを敷いてのんびりとした雰囲気で大人も子供も家族で楽しんでいます。

その後は元親と、阿波の十河存保(そごう まさやす)、仙石秀久達のお芝居です。

最初からは見れなかったですが多くの役者さんが来られていたようです。

全員で勝どき。

南蛮ユニット、七色こんぺいとうと言います。

なかなかこんなのんびりとした雰囲気のお祭りは無いですね。天気が良くて本当に良かったです。

この後は戦に集まった各陣の着陣と出陣式です。

鉄砲隊。

地元の学校の子供たちも甲冑に身を包んで出陣していきます。

地元の中学校の女子たちも槍を持って出陣です。

着陣が揃ったところでエイエイオー!の掛け声です。

途中に何回か餅撒きタイムがあって皆がステージ前に殺到します。私は大人なんですが全部で8個持って帰りました。(笑)

その後は豊後大友宗麟鉄砲隊による鉄砲の実演です。大友宗麟は早くから鉄砲の威力に目を付け南蛮貿易により火薬に使う硝石を手の入れようとしていたとのことで、なかなか先見の明があったようです。そんな宗麟ですが島津に脅かされて秀吉に助けを求めに行ったことで戦が拡大します。

射撃ですが今回は空砲だそうです。

一発発射するごとに射撃する人に大きな反動とすごい音が跳ね返ります。

一斉射撃では音が響き煙に包まれてすごい迫力です。

先込式ですので一回撃つ度に先から弾を入れる仕組みですので2発目以降の装填に時間が掛かり発射速度が遅かったようです。弾を込め火皿に点火薬を入れ火蓋を閉じ火の点いた火縄先を火ばさみに挟み火蓋を切るという一連の動作が発生します。

すごい音、すごい煙、すごい迫力でした。

多くの観客が鉄砲隊の実演を見守ります。

さて、阿波の十河存保(そごう まさやす)の旗が立っています。この武将は知名度は今一つですが、信長の信を得て讃岐・阿波で勢力拡大しますが本能寺の変後は弱体化します。豊臣秀吉の四国征伐には協力したため旧領を秀吉より与えられて大名として復帰したが翌年の九州征伐に従った際に仙石秀久の無謀な作戦に巻き込まれて、長宗我部信親と共に戸次川の戦いにおいて戦死した気の毒な武将です。

河原では騎馬隊の馬たちがのんびりと休憩していました。のどかです。

お琴の演奏もあってなかなか盛りだくさんです。

お腹がすきましたので出店を回りましたが懐かしい大分の郷土料理も出店しています。中津からあげや吉野の鶏めしはもう定番ですが戸次のほうちょう保存会のお店で足が止まりました。

懐かしいほうちょうです。よく子供のころに生活文化展で食べたのを思い出しました。うどんとの違いは明確ではないですがほうちょうは団子を手伸して作ります。大分の団子汁ややせうま(びっちょ)のように豊後は貧乏な痩せた土地が多かったので米ではなく小麦粉で団子を手延べして料理を作る文化が根強くあるように思います。味はたいへん美味かったです。

武将達の甲冑の写真も自由に撮らせていただけます。

おや、なぜか真田幸村もいますね。番外ですが幸村の愛馬のお墓が大分・津守にあるのを知っていますか?調べていくと歴史の巡り合せの面白さを感じます。

また手作り甲冑のブースでは手作りの自慢の甲冑が並んでいました。実際に作成された方の苦労話や解説も聞けて有意義でした。また地元の戦史に詳しい人も多く合戦の模様など周囲の山や地域を指さしながら戦の経緯などの説明してくれました。こういう話が聞けるのも地元の祭りの楽しみですね。

やや日が傾いてきましたが実はイベントは夕方から夜にかけて出陣式や合戦絵巻と続き一層盛り上がるらしいのですが、私は用事もあってこれで帰ることにします。残念ですがさすがに一日中の参加は疲れますね。地元の方ですかファミリーで来られてゴザを敷いて長い時間楽しんでおられる方も多かったように思います。歴史的な合戦祭りと言っても地域に密着した楽しいイベントになったなと思いました。

大野川合戦まつりの式次第ですが朝から晩まで盛り沢山の内容です。本当ならば13時の騎馬疾走と19時からの合戦絵巻なども見たかったのですが時間の枠が広すぎて全部見ることができませんでした。楽しむならば一日居ないとだめですね。

大野川の広い空に形の良い雲と風が流れていて爽快です。

これはおまけですが、新しくなった大分駅正面です。

駅前の広場には大きな南蛮地図の陶板が敷かれています。

16世紀頃の南蛮世界地図ですが日本の九州の辺りがBUNGOと表現されています。それだけ当時は西洋人から見て九州一帯が豊後の大友宗麟の勢力に支配されていたということでしょう。

当時の豊後を支配し領地を大きく拡大した大友宗麟と豊後の地に西洋文化をもたらしたフランシスコザビエル像が立ち並びます。当時九州で一大勢力を誇った大友宗麟も結局はキリスト教に偏り過ぎたために部下に多くの反感をかって勢力を弱めることになってしまったのでした。

大友宗麟は九州に領土を拡大しながらもキリスト教によるムシカと呼ばれる理想郷を作ろうとしていたなど謎の多い武将とも言われます。現在大分では大友の館の発掘調査が続けられており新たな史実の検証が期待されます。

これもおまけですが、大分空港名物のデカい回転寿司もどきです。(笑)

これくらいの遊び心が無いとね。(笑)

大分と西洋文化の結びつきはなかなか興味深くて面白いです。

 

愛LOVE OITA!!

 

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