現在は歴史ブームと言われますが、奈良の平城京跡、福岡の大宰府跡とともに日本三大史跡に数えられる国の特別史跡がここ多賀城に存在します。創建は724年と言われますからその歴史は半端でないですね。仙台からすぐですのでこの機会に探索してみます。

 

今回の旅は夏休みを利用して日本100名城の多賀城跡の訪問から始めます。まずは仙台駅に降り立ちました。

多賀城に向かうには東北本線と仙石線がありますが、今回は多賀城跡を回りますので東北本線の国府多賀城駅で降りました。

駅を降りると観光案内所がありますので案内地図やルートの情報をもらって歩くことにします。ガイドの方とかが丁寧に教えてくれます。

多賀城は奈良・平安時代に陸奥国府が置かれており古代東北地方の政治・軍事の中心的役割を果たしていたようです。駅の近くにも館前遺跡と呼ばれる館の史跡が見つかっています。邸宅か施設の跡と考えられています。この辺りは城柵のまだ外側ですからその規模の大きさを早くも実感させられます。

多賀城の歴史を証明する奈良時代の壷碑の説明板が立っていますが、多賀城の歴史が刻まれており西行や頼朝の詠んだ歌枕(歌に詠みこまれて有名になった名所)で有名になったと言われます。多賀城市内にはこにような歴史的歌枕の箇所が多数存在します。

貴重な石碑であるため雨風から守るために覆堂の中に収められています。江戸時代までは地中に埋まっていたようで発見されなかったとのこと。

762年奈良時代のものですので石の侵蝕も激しいようですが実物Hは歴史を感じます。碑文はもう読み難くなっています。江戸時代に松尾芭蕉も訪れて涙したと伝わります。国の重要文化財に指定されています。

壷碑のあたりから政庁へ進むと政庁へ続く大路が見えてきます。

南門から政庁へ真っすぐな道が通っていたようです。

こんな立派なメインストリートが政庁まで通っていたことには驚かされます。

大路を登った正殿の正面に立つ南門跡です。

イメージ図がありましたがこのような立派な門が立っていたのでしょう。

南門を入った中には敷石された庭が広がっていたようです。

一段高くなっているのが正殿跡です。

多賀城正殿の跡です。まさにここが当時の東北地方の政治の中心であったわけです。100名城ここにありといった感想です。

同じく東側の政庁東門跡です。

東門の跡の礎石から正殿を見ています。

政庁全体は空から見た方が分かりやすいでしょう。ドローン飛ばすわけにはいかないのでパンフレットを参照させてもらいます。

多賀城は約900メートルの築地堀や材木堀で囲まれ東と西と南に立派な門があったようです。中央には今見てきた政務の中心の政庁があったわけです。

城の北東にも門が設けられていた跡がありました。この門の近くには役所跡や神社が祀られています。

城の北東にも門が設けられていた跡がありました。この門の近くには役所跡や神社が祀られています。

城跡の東門の東約150メートルの道路沿いに陸奥総社宮があります。900年頃に陸奥国の100の神社を合祀して創建されたと伝わります。

当時の東北地方への権力を象徴する神社です。

また道路沿いにある多賀神社です。近江の多賀神社より分霊を遷したと伝わります。

また政庁から北へ300メートルの同地区内には行政機関の跡ともいわれる史跡が見つかっています。

政庁の北側にも史跡が広範囲にわたっています。

さて多賀城の史跡は見て回りましたがまだ多賀城市には有名スポットがあるとのことで時間の限り回ってみたいと思います。国府多賀城駅から多賀城駅にシフトしたいと思いますが地元ではウォーキングコースにもなっているので私も歩いて移動します。2、3キロであれば歩いたほうが早いというのが持論です。

国府多賀城駅からは約3キロ歩きましたが仙石線の多賀城駅へやっと着きました。多賀城正門をモチーフにしたお洒落な駅舎です。

駅のお隣には蔦屋さんとタイアップした図書館がありました。きれいでカフェもあって一般の図書館と大分雰囲気が違いました。市民の憩いの場ですね。

さてこの辺りは歌枕で有名なスポットがあるそうです。まずは多賀城駅から歩いて約10分ですが宝国寺の末の松山の解説が立っていました。そうですこの裏手すぐにあの百人一首で読まれた末の松山が存在します。

古今和歌集に登場するなどみちのくを代表する歌枕として多くの歌人に詠まれている末の松山です。「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」は誰でも知っていますがここに存在するのも初めて知りました。今で言うと太陽が西から登ってものような有り得ない事を意味した言葉で使われてきたようです。松尾芭蕉も訪れていますね。

解説板の方がなんとなく分かりやすいですね。私は百人一首は覚えていますがその意味とか由来とか知らないことが多いので今回は訪問は勉強になりました。

そして末の松山からすぐですが住宅街の真ん中に沖の井が存在します。こちらも百人一首の「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」で有名ですね。昔はこの辺りまで海に浸かっていたのでしょう。

 

今回初めて訪れた多賀城市ですが古くから歴史的に意味のある地だというのがよく理解できました。だからこそ多くの歌人も訪れていたのでしょう。勉強になりました!。