東京からは新幹線でも行けますが倹約するために東海道線を使って三島へ向かいます。目的はいくつかありますので順に紹介していきます。
東京から熱海で一回乗り継いで三島駅に到着です。2時間と少しかかりました。
三島駅からは東海バスに乗って約30分、三島スカイウォークに到着しました。
歩行者専用としては日本最長の吊橋とのことです。全長400メートルです。確かに観光客がいっぱいです。
幅は1.6メートルとのことで思ったよりは狭かった印象です。車いすがすれ違える幅に設計されているとのことです。
コンクリートの吊橋ですが風や人が歩くと多少左右に揺れますね。高所恐怖症の人は多少怖い思いをするかも知れません。
本当ならばこの方向に富士山が見えているはずでしたが生憎の天気で見えませんでした。
橋のたもとでは恐竜アドベンチャーで5体の恐竜がそれぞれ動いていましたね。昔と違って動きや鳴き声もリアルなので子供たちも恐る恐るという感じで眺めていました。(笑)
さてつり橋からバスに乗ること約10分ほどですが次の目的地の山中城跡に着きました。かなり山道を登りますので歩かなくてよかったです。この城は小田原城から西へ23キロメートルで西からの脅威から本城を守るのが役割でしょう。南の韮山城、北の足柄城と連携しての強力な楯となっています。
ここには江戸時代の小田原~三島間の旧箱根街道の石畳みが復元されています。
歩きやすくはないですが当時の情景が再現されており趣があります。
さてまずは案内所から国道の南側の岱崎出丸方面を歩きます。このあたりは豊臣の攻撃に備えて急ピッチでの築城を行ったと思われますが結果的に間に合わず未完成に終わって落城することになりました。
岱崎出丸の西側に単一の一の堀の障子掘が連なります。
ここは最も南に位置するすり鉢曲輪です。中央部が下がりすり鉢のような形状の曲輪です。ここから東海道を通る人達の監視的な役割を果たしていたようです。
それぞれ見所に案内板がありますので見ていくとたいへん勉強になります。
築城途中の看板も建っています。秀吉軍のスピード感に適わなかったということでしょう。
一の堀を下から見上げたところです。東海道から城を攻めようと思うとこのような畝を登らないといけない訳です。
次に国道を渡り三の丸の空堀を進みます。
深いところで8メートルもあるそうです。這い上がるのは不可能でしょう。
三の丸堀の案内板です。
堀を進むと田尻の池に突き当たります。ここは溜池であったとのことで馬用の飲み水とされていたようです。
蓮に覆われた田尻の池の案内板です。
西の丸南側には畝堀が続きます。
障子掘の美的センスに驚かされますね。
土橋です。
曲輪を囲むように障子掘が連なります。
近くで見ると障子掘は想像以上に迫力があります。
西の端の西櫓も障子掘に囲まれて芸術的な魅力も感じられます。
西の丸堀の案内板です。
敷地から柱穴が見つかったことで兵糧庫と弾薬庫があった場所と思われます。
本丸から山道を抜けて国道1号線に降りてきました。
隣の宗閑寺ですがここには北条方の武将と豊臣方の武将が共に弔われています。
合掌し再びバスで駅方面に戻ります。
三嶋大社に無事に旅が終わったお礼にお参りです。
神門です。
三島大社の本殿です。かつて伊豆に流された源頼朝が深く崇敬し源氏再興を祈願したと伝わります。頼朝が鎌倉幕府を開いて以来そのご威光も増大していって今日に至っています。
最後に三島の名物といえば三島コロッケと鰻ですね。駅の近くのむさしさんでうな重をしっかりと食べて帰りました。ごちそうさま!
噂に聞く山中城の障子掘と畝掘を直に見ることができ感激です。天守も石垣もない城跡ですが他の城には無い強烈な印象を残しました。目に焼き付けました。