高松では義経の活躍をはじめとする源平合戦の史跡に注目しています。まずは檀の浦合戦の地、屋島を訪れます。
遠くからでも確認できる屋島の台地が見えてきました。屋島は南北5キロメートル・東西3キロメートルで高さは300メートル未満の台地です。小さいころに家族旅行で来たそうなんですがまったく記憶はありません。
南嶺に通じるドライブウェイが無料化されていました。でも駐車場ではお金を取られました。
談古嶺と呼ばれる場所ですが檀ノ浦の古戦場が一望できます。
遠くの島々がきれいに見えて古戦場とは思えませんね。
屋島寺の赤門です。屋島寺は四国八十八箇所霊場の第八十四番札所となります。かなりの高台ですので歩いて回る人は大変でしょう。
屋島寺ですが鑑真和尚が北嶺にあったものを弘法大師空海が南嶺に移したと言われています。
大きなタヌキのオスとメスが並んでいますがこちらは蓑山大明神でタヌキの伝説が伝わります。
宝物館ですが源平合戦の資料を見ることができます。
名物のかわら投げですが、確か小さい時に来た時もかわらを投げたような記憶があります。そもそも合戦に勝った源氏が陣笠を投げて勝ちどきをあげた故事にならったのが由縁と伝わります。
獅子の霊巌と呼ばれるビューポイントでここからかわらを下に投げます。晴れていれば瀬戸大橋まで見渡せるということです。
屋嶋城跡の復元石垣です。1350年前の大和朝廷の時代に唐・新羅の備えて日本各地に城を築いたことが日本書紀に出てくるそうで屋嶋もその一つと言われます。瀬戸内を通る船の監視を行っていたと思われます。
眺望が良いので瀬戸内を通る船の監視を行っていたと思われます。
弘法大師が屋島寺を北嶺から南嶺に移す際にお経と宝珠を納めたと伝わる瑠璃宝の池ですが、源平合戦の時に源氏が刀を洗ったために池の水が真っ赤になったことから血の池とも呼ばれています。

ことでん八栗駅の周辺にも義経関連の史跡が点在しますので可能な限り探して回ります。

八栗駅すぐ裏の総門跡ですが、平家が海辺の防御のために門を構えていた場所とのことです。
案内板です。
洲崎寺です。史跡には赤い幟が立っているので分かりやすかったです。
佐藤継信の菩提寺で継信の遺体がこの寺の御堂の扇に乗せられて運ばれたと伝わります。
駒立岩と呼ばれています。那須与一が扇の的を弓で射るときに荒れる海の中のこの岩の上で駒を止めたと言われています。潮が引くと現れます。
案内板がありますので状況が分かりますね。
祈り岩と呼ばれています。那須与一が扇の的を弓で射るときに一心に祈った岩と言われています。
安徳天皇社です。一の谷で敗れた平宗盛は屋島に行宮を建て陣営を作ったと言われます。安徳天皇は戦いに敗れ山口下関市の壇の浦で入水してしまい平家は滅亡してしまいます。
義経が弓を落としてしまった場所(義経弓流し跡)と伝わります。
合戦の際に脇に挟んだ弓を落としてしまったため弱みを見せないために、危険を承知で必死に弓を拾い上げた場所と伝わります。
景清の錣引(しころ引き)伝説の地ともなっています。合戦の一騎打ちの物語ですが太刀を折られ逃げる源氏の美尾屋十郎の兜を平家の悪七兵衛景清が熊手で引っ掛けて強い腕の力で兜と錣(しころ)を引きちぎった場所とのことです。
屋島の向かいには五剣山の険しい峰がそびえたっています。
最後に空港でコーヒーを飲んで一休みして帰りました。
屋島周辺の源平合戦の史跡の多さには驚かされました。全部回るのは無理でしたが美味しいうどんにエネルギーをもらい十分歴史を楽しむことができまた一つ勉強もできてよかったです。小さいころの思い出が少しだけ読み返りました。