高松で宿泊し郷に入っては郷に従えですので、朝からうどんを食べ徳島へ移動します。

ホテルで朝食食べる方法もありましたがせっかく高松に来ていますから朝食もうどんを探してみたいと思います。朝から開いているお店も結構ありました。うどんバカ一代さんですが朝から満員でお店もフル回転状態でした。名前と違ってまじめで実直なうどんです。
朝から濃い目の出汁が目を覚ましてくれます。私はほとんど必ずレンコンを一緒に食べていますね、好きなんです。
おなかも満たされたことでこのまま徳島へ向かいます。途中道が分岐しますが右へ行くと大鳴門橋を渡って淡路島・神戸に行けます。
徳島駅まで約1時間半でした。以前に来たことはあると思いますがあまり記憶に残っていないです。
駅の改札もおしゃれな雰囲気になっています。
駅の作りは独特ですね。地下にレストラン街があります。
ポストの上にも阿波踊りです。今年は8月1日2日3日です。
さてわざわざ徳島まで来た最大の目的は徳島城を見学することです。駅からすぐに徳島城のお堀を発見しました。橋は数寄屋橋と呼ばれています。
徳島市立徳島城博物館ですが徳島城の歴史や蜂須賀家について説明員の方から丁寧に聞けて勉強になりました。
藩祖の蜂須賀家政公の銅像です。徳島の礎を作った人ですが歴史上はそれほど有名ではないですね。朝鮮出兵や関ケ原、大阪の陣など主要な戦にはほとんど参加しているのです。
蜂須賀家の家紋は左万字ですが外国の方からはナチスのマークとの関連を聞かれることがあるそうです。
博物館の裏から徳島城へ階段を上がることができます。
60メートルほど階段を上がらないといけません。湿気が多く石垣から赤いカニが出ていているのが見えました。
40メートルの城山の中腹にある東二の丸に天守跡が存在しますが海を見下ろせ監視ができるようになっています。やはりこの城の役割は海上の防衛・監視でしょうか。
60メートルの頂上には本丸跡が広がります。
城から車で5分ほどの北側にある興源寺ですが蜂須賀家の菩提寺で墓所でもあります。
蜂須賀家墓所の碑が立ちます。
代々藩主の五輪塔が立ち並びます。
家祖の蜂須賀正勝(小六)と正室松の墓もありました。
また徳島市から足を伸ばして小松島市までやってきました。写真は南小松島市駅ですがこの周辺には興味深い史跡が点在します。
国道55号線を走っていると看板が出ていますが、この辺りは義経が屋島の平家を討つために嵐の中をわずか6時間で大阪からの船で危機一髪で最初に上陸した場所ということで史跡になっています。
今は畑の中になっていますが当時は海岸がこの辺りまで来ていたのでしょう。
近くの小高い山(旗山)ですが義経がこの山の上で源氏の白い旗を振って兵士を鼓舞したと伝わります。
階段を登ってみるとかなり大きな義経の騎馬像が現れます。
高さ6.7メートルとのことで騎馬像としては日本一の大きさとのことです。確かにこの小さな山に不釣り合いなほどの大きさです。
この旗山を始め義経ドリームロードと呼ばれる一帯には義経関連の史跡が点在します。今回はすべては回れなかったですがここ勢合は義経軍が小松島に上陸して勢ぞろいした場所と伝わります。
その目印となる可愛らしいJR牟岐線阿波赤石駅です。
JR牟岐線の絶景ビュースポットですが列車が来なかったのが残念でした。
また小松島市は狸の伝説が伝わりますので街のあちこちで狸のモニュメントを目にします。ここステーションパークには巨大な狸像が鎮座します。
金長たぬき伝説の言われの看板です。
ここまでうどんばかり食べてきましたので少し毛色の違うパンチのあるうどん食べたくなってきましたので、チェーン店の得々うどんさんで昼をいただきます。
ここでは少しピリ辛の鳥南蛮うどんをいただきました。久々に味の濃いものを食べて美味かったです。
ということで久々に来た徳島ですが歴史的な視点から見て興味を引くものが多くありました。特に蜂須賀家のお話をいろいろと聞くことができ勉強になりました。四国でも秀吉や家康に振り回されながらも家系を守り今日の徳島の礎を作って来た立派な藩主だと思います。やはり歴史の勉強は現地に行って話を聞くのが一番身に着くと実感しました。