仕事で福井に行きましたのであの北の庄城を見てきたいと足を運びました。また少し前に永平寺にも寄ったことがありますので、つなげてご紹介します。(2009,2004)
まずは北の庄城跡に向かいます。信長が本能寺の変で亡くなってからの覇権争いで秀吉に敗れ、柴田勝頼、お市の方と戦火の中で果てたことはあまりにも有名です。また茶々、お初、お江の三姉妹は勝家に城から出るように命じられ、その後波乱の人生を送られることになります。その舞台となったお城へ向かいます。
福井駅からは歩いて5分くらいと近いです。おしゃれな路面電車も走っていますね。
柴田神社を訪れましたが境内が本の丸天守跡と言われ、石垣跡や柴田勝家とお市の方と三姉妹の銅像を拝むことができます。
お市の方と三姉妹の像が迎えていただきます。浅井長政に嫁ぎ織田信長に滅ぼされ、再び柴田勝家に嫁いだものの今度は秀吉に攻められて自害で果てる、と戦国時代の戦乱に巻き込まれた悲しい運命です。織田信長の妹に生まれてしまったことに悲劇が付きまといます。
境内の3姉妹神社です。しかし3姉妹がここで生き延びたことでその系統は将軍家、天皇家と繋がることになり、浅井長政は草場の陰で喜んでいるかも知れませんね。
今でも柴田勝家殿が睨みをきかせています。勇猛果敢で鬼柴田、甕割リ柴田と呼ばれた武将ですが、ルイスフロイトは彼の温情溢れる人柄の逸話も残しています。
離反した家臣に対して恨み言は言わず、また最後まで付き添ってきた家臣たちには、生き延びることを許したことなど。さすがにお市の方はこれ以上生き延びることが自分で生き恥になると感じたのでしょうね。
境内というか柴田公園内に北の庄城の遺跡を見ることができます。織田信長が自ら綱張りを行い柴田勝家を配し越前支配の拠点とすべき北の庄城です。
この城についてはルイスフロイトもその立派さを驚きで伝えています。当時は9層の壮大な天守閣を持つ城であったと伝わります。
当時の石垣が残っているとのことで、当時の悲しい歴史を目の当たりにすることになります。石垣はもちろんですが屋根も石で葺いていたとのことでどんなものが発掘されるか見て見たいですね。
尚、神社には石垣の遺構を見ることができます。発掘作業はかなり広い範囲で行う必要があるようで今後も何がでてくるかに期待したいです。
柴田神社の事務所でお守りなどが買えます。
近くに歴史的な史跡もありますが今回は時間が無いために次回にしたいと思います。再訪誓います。
勝家の墓も存在します。お花をささげてきました。 戦国時代は敗者はあまりに多いですが勝者は数少ないです。
また福井駅からローカル線で永平寺へ向かいます。もう2004年当時のものです。
割と可愛らしい永平寺口駅です。
駅の回りには菜の花が広がりのどかな風景です。
永平寺口からさらにバスに乗り換えて向かいます。さすが名刹ですが遠いですね。
お寺の参道にはお土産やお蕎麦屋さんが立ち並びます。
永平寺の入口に着きました。
永平寺の境内図ですが相当に広いのが分かります。
山門の外観写真を撮りそこなっていましたが、有名な言葉で求道心のある、やる気のある者しかこの門はくぐれないという札を見ることができました。
山門についての説明が分かりやすいです。
この階段状の回廊が有名ですね。拭き込むたくさんの修行僧に出会います。
仏殿にお参りしました。
鐘つき堂です。
境内も非常に雰囲気があって名刹の雰囲気を感じることができます。
境内は広くたくさんの修行僧が日夜修行に励まれているようで、下界の我身が引き締まる気がしました。
帰りは小松空港から羽田空港に帰ります。
北の庄城は戦国時代の歴史の1ページですので、ぜひ発掘等で当時の巨大城の姿を後世に伝えてほしいですね。 永平寺はこれからも変わらないと思いますが、機会があればぜひまた参拝に来たいです。もっと時間があれば福井の他の地にも行きたかったですが、意外にも京都・大阪からとても近いのですね。東京からはとても遠い印象があったのですが、勉強不足でした。
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