亀戸と言えば十三間商店街を直進した交差点の角に但元いり豆本店が有名ですね。大正5年(1916年)創業とのことで今でも升(ます)による量り売りです。 |
2017新春を迎えましたが東京では江戸時代からの七福神めぐりが大人気です。ここ亀戸でも七福神を巡って今年の運気を上げたいと思い天気の良い松の内に出かけます。(2017/01)
まだ正月の雰囲気が漂う朝のJR亀戸駅です。
かなり冷え込んだ朝ですが亀戸駅をスタートします。亀戸らしいモニュメントがありますが駅の池にはうっすらと氷が張っていました。
街のあちこちに七福神巡りの看板が出ています。亀戸七福神は亀戸駅周辺の3つの神社と3つの寺院にまつられていますが、2時間もあれば回れると思います。
この常光寺の境内の一角のお堂に寿老人が祀られています。ちなみに各神社・寺にて一枚の色紙に御朱印を頂き七福神を完成させていきます。
次に歩いて約5分東覚寺にお詣りします。不動明王をご本尊として安置しており江戸時代は亀戸のお不動様として有名でした。
弁財天にお詣りします。財は才能の才なので芸道富有の御利益が期待できます。
七福神ではありませんが福神橋の近くに由緒ある吾妻神社がありますね。日本武尊の伝説に遡ります。
安藤広重も江戸名所百景の中で「吾妻の森連理の樟」という絵を残しています。当時の物はありませんが当時の雰囲気は偲ばれると感じます。
北十間川にかかる福神橋は東京スカイツリーの撮影スポットです。そう、逆さツリーがバッチリです。
北十間川に沿って西へ歩きますが途中に梅屋敷跡の碑を見つけました。実際はもう少し南側にあったらしいですが梅屋敷を書いた絵は広重の最高傑作のひとつです。
広重の最高傑作がここ亀戸の梅屋敷を舞台に書かれていることは亀戸の誇りですね。
次に北十間川を西に進み天祖神社にお参りします。堅牢な金庫様式と呼ばれるお社のため戦時中も火災を免れたと言われます。
人望福徳のご利益があるとされる福禄寿が境内の一角にあるお社にまつられています。
古くは悪病が大流行した時に織田信長がこの神社で流鏑馬の行事を行わせたところ収まったと言われ、現在でも流鏑馬(こども歩射)が行われており境内に矢場が見えます。
次に柳島から横十間川を南下していくとすぐですが龍眼寺です。元々は柳島の地名から柳源寺として建立され後に龍眼寺に改めららたとのこと。境内には萩が茂り萩の寺とも呼ばれています。
ここのお堂には布袋尊が祀られています。
池の水が冷たいせいか立派な鯉たちも身を寄せ合って動きません。
境内に万治2年(1659年)の銘がある区内最古の庚申塔がありました。
庚申信仰は落語で知っている程度ですが案内板を読むとよく分かりました。
次は亀戸天神の近くですが普門院を訪れます。正面に碑がありますがここには野菊の墓の伊藤佐千夫氏のお墓もあることで知られています。またこのお寺が現在の地に移る際に誤って梵鐘を隅田川に落としてしまいそれが鐘ヶ淵の地名の由来となった言われています。
ここのお堂には毘沙門天が祀られています。
次に歴史の古い亀戸香取神社を参拝します。ここは天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際この亀の島に船を寄せ香取大神を勧請され太刀一振を納め旅の安泰を祈り神徳を仰いだのが創立の起因と言われます。徳川家康が来るはるか昔からここに鎮座していたということでしょう、たいへんな歴史ですね。
さすが勝負の神様ということでスポーツ選手の参拝も多いようです。勝負ごとに勝てるように勝守りを買って帰りましょう。
恵比寿神と大黒神が祀られています。
境内の大黒様と恵比寿様ですが体の悪いところを磨いてやると御利益があるとのこと。
そして七福神には入りませんが亀戸であれば亀戸天神に寄らない訳にはいきませんので参拝します。意外ですが亀戸天神の創建は江戸幕府の4代将軍家綱の時代であり他の神社に比べて比較的新しいのものです。
広重も絵に描いていた太鼓橋とスカイツリーのコントラストには広重もビックリでしょう。
太鼓橋からの眺めですが3が日は大変な人手だったことでしょう。
猿回しもお正月らしくて趣がありますね。
また亀戸の歴史を語る上で欠かせないのが亀戸の水神様です。
創建は1532年頃と言われています。この地域は川に囲まれた湿地であり頻繁な水害に悩まされていたようでこの地に水神様が祀られたと考えられます。
近くの東武亀戸線の駅名にも水神様が反映されています。
私も東武電車に乗って戻ることにします。
さて亀戸の歴史を学びながら七福神を完成させることができ新年のパワーを充填することができました。御利益も多そうです。
完成!!