お仕事で山陰へ行きましたので時間を取って城めぐりに米子、鳥取を回って楽しみました。(2016/4)
最初に降り立ったのは米子鬼太郎空港です。米子鬼太郎空港は以前も写真を撮りましたので今回はほとんど写真もパスして米子市内へバスですぐに向かいました。市役所付近から見上げると小高い湊山の上に米子城の石垣らしきものが見えてきました。湊山頂上には、四層五重の天守閣と四重櫓という大小2つの天守が連なっていたそうです。
国指定の米子城跡です。その城の建物は残っていませんが、石垣や礎石などは城郭の形態をよくとどめ、その構造を知ることができます。
時間と体力があれば山頂の天守跡を見学に行きたいですが、今回は下から見上げるだけで諦めます。市民のハイキングコースになっているようです。
城跡側のよく整備さらた川沿いにはちょうど満開の桜が見ごろを迎えていました。冬の間の気候は東京とかなり違うのに桜の開花はほとんど同じ時期になるのが不思議ですね。
次にJRの特急で東に移動し鳥取を目指します。車窓には日本海が広がり風光明媚です。途中大きな風車が見えました。
米子から特急で約一時間、久々に鳥取駅にやってきました。
駅の構内には砂でできたコナンの像が置かれていました。砂丘の砂で作っているのでしょうがよく壊れないなと思いますね。鳥取市内には砂丘砂の美術館もあります。今回砂丘にも寄りたかったのですが天候が悪かったので諦めました。
それでは日本名城百選の鳥取城へ向かいます。市内には100円ループバス「くる梨」が走っていますのでこれを利用します。
鳥取城跡までやってきましたが、目の前に人の目を引く白亜の館がありました。見学もできるとのことでしたので寄って見ることにします。 フレンチルネッサンス様式の洋館ですが国指定重要文化財の「仁風閣」です。
2階にホールには命名した海軍大将東郷平八郎の書が掲げられています。館内は天井が高くて解放感がありふんだんに大理石が使われて豪華さが伝わります。
明示40年の建築ですがその年の大正天皇の山陰地方行啓の宿舎として使用されています。御座所には天井にはシャンデリアが見えますが、この時県下で初めて電灯が灯されたということです。まさに鳥取県の明治文明の最初の一歩となった建物と言えるでしょう。
窓から見える庭園も素晴らしいです。バルコニーから池泉回遊式 の宝隆院庭園を一望できるのも良いです。
少々雨が降ってきましたので雨宿りの意味で県立博物館に寄らせてもらいました。
これから向かう鳥取城跡についての展示もありました。鳥取城に関しては秀吉の兵糧攻め「飢え殺し」の戦法が有名です。播磨の三木城での兵糧攻め(三木の干し)、高松城の水攻めと合わせて秀吉三大城攻めと呼ばれる場合もあります。
天守があったと言われる山上ノ丸は山上になりますが今回は登りません。山下ノ丸の二の丸には三階層の櫓があったと言われています。幾層もの石垣は残り仁風閣からは見上げると城の全体像がイメージできます。
復元ですが城の入口に西坂下御門を通ります。
姫路城天守から10年後に同じ職人たちが再整備したとのことで姫路城の弟城とも言われたとのこと。ちょうど桜がきれいでした。
他の城では見れない珍しい石垣を見ることができます。石垣の孕みを防止するために積んだ石垣が球体になったということで珍しい形状になっています。
城の入口に吉川経家公の銅像が建ちます。兵糧攻めが悲惨を極める中、城主になった吉川経家は自刃することで開城したわけですが忠義の武将として称えられました。他には方法が無かったでしょうね。
詳しい経過を記載した分かりやすい看板がありましたのでそのまま写します。
さて鳥取駅のすぐ近くですが話題のすなばコーヒーがありました。知事が鳥取にはスタバは無いが大きなスナバ(砂場)はあると言ったため人気のスポットになっています。

また鳥取と言えば子供の頃に聞いた因幡の白兎の話が思い出されます。白兎神社もありますので行ってみたかったですが時間が無いので諦めました。 さて帰路に付くために連絡バスで鳥取砂丘コナン空港に移動しました。 鳥取砂丘コナン空港ですが、ANAしか飛んでいないのです。
