なごやの城というと名古屋を連想する人が多いとと思いますがここ唐津には戦国時代の忘れてはならない城跡がありますね、そう名護屋城です。 秀吉の天下統一熱が朝鮮出兵に注がれるようになりここ唐津に拠点の城が築かれたわけです。今回は博多から唐津を旅します。
博多駅からは地下鉄空港線・西唐津行で唐津へ向かいます。思ったより博多に近くて便利ですね。
唐津駅からは名護屋城跡へ直行バスが出ており助かりました。500円でお土産までついてお得です。
今回は名護屋城跡近くの道の駅で降りますが、呼子も近く烏賊やさざえなどの海産物がお土産としてたくさん売られていました。
すぐの名護屋城博物館は相当立派な建物ですが無料で館内を見学することができます。
道の駅のすぐ裏ですが裏山を少し登っただけで前田利家の陣屋跡が見えてきました。
案内板が表示されていますがこれが無ければ分からないような石垣跡と広場しか残っていません。
前田家の家紋の旗を掲げたといわれる旗竿台が残ります。
それではいよいよ名護屋城跡に入りますがいきなり後方に膨大な石垣群がみえてきました。予想したよりもはるかに大規模な城であったことが分かります。
展望が広がると池もありスケールの大きさが伝わってきます。秀吉の命令で多くの諸大名が総力を結集して作り上げた城です。
石垣を眺めながら東出丸方向に上がっていきます。
天守台のあった本丸跡につきましたが東西130メートル、南北125メートルの広さがあります。すぐ近くに玄海灘が見えています。
のぼりつめると本末天守跡の碑が建ちます。360度に素晴らしい眺望が広がります。
天守跡からの眺望はすばらしいですが当時は各大名の陣屋が集結しており一大都市が生まれて繁盛していたと思われます。人口は20万人を超える城下町が出来ていたと言われます。
玄海灘に突き出ておりその眺めは格別です。当時秀吉ももここから出ていく船を見守っていたのでしょう。
石垣にはこのような巨大な鏡石が使われており本格的な築城が行われていたことが分かります。
崩れている石垣には当時の物か石割しようといした痕が残ります。
城には飲み水が必要になりますが、当時の井戸の跡も残っており生々しいです。
反対側も眺められますがこちらも大名の陣屋後だらけの状況です。130を超える陣屋が建てられていたと言われます。
両側に石垣が続きますが長い年月で岩が崩れている場所が多く目に付きます。
出口に向かった両側に石垣が続きます。
一旦城跡を出て徳川家康の陣屋を探して外を歩いて回ります。ここは山里口になりますが当時の石垣が幾重にも積み重なります。
徳川家康陣屋は近いのですがなかなか見つからず隣の大野治長の陣屋跡がみえてきました。
このあたりが家康陣屋跡で案内板が出てますがほどんど当時の雰囲気は無いですね。
近くには小学校がありましたがやはり名前は“名護屋小学校”です。
さて唐津に戻って今度は唐津城へ向かいます。
天守まではエレベータで登ります。
階段を登りますが一部工事中でした。
唐津湾を見下す眺望は素晴らしく絶景を楽しめます。
反対側の唐津市内の風景です。
最後に唐津城の写真スポットで1枚戦国時代の歴史の勉強の旅でした。
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