平家物語 巻第一 我身花栄 に
日本秋津島は僅かに六十六箇国、
平家知行の国、三十余箇国、
既に半国にこえたり。
日本すなわち秋津島はわずか六十六ヶ国で、
平家の知行国は、三十余ヶ国、
すでに半分を越えている。
とあるように
治承3年11月の政変で半分の国を
その知行・勢力下に置くことになった
ちなみに、当時の国数は68ですが
壱岐国と対馬国が嶋として数えられため
66国という事になるようです
※秋津島とは当時の日本(大八洲)を表現した呼び方で
本来は本州を現していた
※大八洲とは、淡路島・四国・隠岐諸島・九州
壱岐島・対馬・佐渡島・本州のこと
三十余ヶ国とは?
この事についても様々な考察がなされてます
考えてみました
治承3年11月の政変以前の状況
院分国となっていた国は
畿内:和泉・摂津
東海:尾張・三河・甲斐
東山:美濃・信濃・陸奥
北陸:若狭・越前・加賀・能登・越中・越後
山陰:丹波・丹後・但馬・因幡・伯耆
山陽:播磨・美作・備前・備中・備後・周防
南海:紀伊・淡路・阿波・讃岐・伊予
西海:筑前
の31ヶ国とされています
オレンジの国々
31ヶ国のうち
治承3年11月の政変まで院司によって
知行されていた国は
和泉・摂津・尾張・信濃・若狭・越前・加賀
能登・越中・越後・丹波・丹後・因幡・播磨
美作・備中・紀伊・伊予
の18ヶ国
※院司とは院庁の職員(中流貴族や京武士ら)のこと
薄オレンジの国々
18ヶ国のうち
治承3年11月の政変まで、院司として平家が
知行していた国は
和泉・若狭・越前・能登・播磨・紀伊
の6ヶ国
その他に建礼門院(平徳子、平家の一員として数える)の知行国として
尾張
の1ヶ国
※建礼門院とは高倉天皇の皇后で安徳天皇の母
そして平清盛の娘である
院分国以外の国のうち平家が知行していた国は
伊賀・駿河
の2ヶ国
平家の影響下の知行国数は都合9ヶ国という
ことになります
あくまでも平家の知行国ということです
水色と薄水色の国々
治承3年11月の政変直後の状況
解官となった国は
院分国では
三河・甲斐・美濃・陸奥・越前・加賀・但馬
伯耆・備中・周防・淡路・阿波・伊予
の13ヶ国
院分国以外の国では
河内・相模・上総・常陸・出羽・佐渡
の6ヶ国
灰色・薄灰色の国々
❶平氏政権下において、院分国のうち平家の
知行が以前から継続していた国は
和泉・能登・播磨
の3ヶ国
❷平氏政権下において、院分国のうち新たに
平家が知行した国は
尾張・三河・美濃・若狭・越前・加賀・但馬
伯耆・備中・周防・紀伊・淡路・阿波・讃岐
の14ヶ国
❸平氏政権下において、院分国以外の国の
うち平家の知行が以前から継続していた国は
駿河
の1ヶ国
❹平氏政権下において、院分国以外の国の
うち新たに平家が知行した国は
伊勢・上総・常陸
の3ヶ国
❺平氏政権下において、解官となった
院分国のうち平家が知行しなかった国は
甲斐・陸奥・伊予
の3ヶ国
❻平氏政権下において、解官となった
院分国以外の国のうち平家が知行しなかった
国は
河内・相模・出羽・佐渡
の4ヶ国
平氏政権下において、院分国だった沙汰なし
の国のうち
❼院司が知行していた国は
摂津・信濃・越中・越後・丹波・丹後・因幡
美作
の8ヶ国で
❽院司以外が知行していた国は
備前・備後・筑前
の3ヶ国
以上から
最小で32ヶ国から最大で39ヶ国まで
院政の完全停止によって後白河院の院庁が
機能停止し、院分国の知行権のすべてが
平氏政権下に組されたことを前提とすると
32ヶ国の場合の内訳
知行国(❶❷❸❹)
和泉・伊勢・尾張・三河・駿河・上総・常陸
美濃・若狭・越前・加賀・能登・但馬・伯耆
播磨・備中・周防・紀伊・淡路・阿波・讃岐
の21ヶ国
平氏政権の影響下の国(❺❼)
(院分国の時に院司に知行されていた国)
摂津・信濃・越中・越後・丹波・丹後・因幡
美作・伊予
の9ヶ国
(院分国の時に院司以外に知行されていた国)
甲斐・陸奥
の2ヶ国
濃水色・水色・薄水色の国々
35ヶ国の場合の内訳
❶❷❸❹❺❼の32ヶ国
平氏政権の影響下の国(❽)
(院分国で院司以外に知行されていた国)
備前・備後・筑前
の3ヶ国を加える
理由は、院司以外が知行していたが院分国なので
濃水色・水色・薄水色・薄紫色の国々
39ヶ国の場合の内訳
❶❷❸❹❺❼❽の35ヶ国
平氏政権の影響下の国(❻)
(院分国以外の国で解官となった国)
河内・相模・出羽・佐渡
の4か国を加える
理由は、院分国以外でわざわざ解官しているので
濃水色・水色・薄水色・薄紫色・紫色の国々
と、私見では以上のようになります
尚、加賀の取り扱いについては(?)が
付く場合があります






