大坂城へやって来た信尹と面会する幸村。
そこには、兄信之が!
家康の誘いに
有難迷惑と返す幸村。
丸裸となった大坂城でどう戦う?と問う信尹。
しかし、幸村にとって、
もはや大坂城がどうであれ家康の首さえ取れればよかったのです。
信濃一国(40万石)を与える。
しかし幸村にはわかっていました。
既にそのような世の中ではないことぐらい。
徳川が権力の頂点に座した頃から
大名の領分(領地)は細分化されました。
目的は、大名の弱体化と知行箇所を増やす為。
この他に、再検地、新規開墾、耕作地の拡大、耕作技術の向上なども関係していますが。
秀吉政権まではほぼ国(令制国)単位若しくは複数郡単位で宛行安堵していました。
徳川政権になってからは国(令制国)を細分化しほぼ郡単位で知行されました。
その郡をそれまでの国(令制国)のような感じで領地経営しました。
まぁ中には例外もあります。加賀藩・仙台藩・尾張藩・広島藩など。
信濃国においても当時は
上田・松代・小諸・飯山・松本・諏訪・高遠・飯田と8つあり
それぞれに領主がいるわけで、
一国を与えるということは8領主が他へ移らなければならない。
服従するなんてことはありえないのです。戦国時代の国盗りとは違います。
全領主の服従先は徳川将軍家ただ一つなのだから。
改易がたくさんあれば話は別ですが(しかし改易が頻発しているような状況では安定した政権運営が出来ない)、簡単に移れるような地はほとんど無いのです。
幸村が欲しいのは、家康の首、一つ。
死んではならぬという信之に
捕まれと申されますかという幸村。
捕まってもまた助ける、赦免を勝ち取るという信之に
そしてまた14年(十余年)・・・幸村。
九度山での蟄居生活14年。やはり精神的に苦しかった。
そして父昌幸の無念さを知っているが為に。
再び、行く先が全く見えない中で生きていく辛さを味わい、表舞台に出られた喜びを味わってしまっては、死なせはしないという信之の言葉はもはや幸村の心には響かない。
解って欲しいこの気持ちを、兄上。
というような表情で見つめるだけ、決して言葉にはしない。
なぜなら、兄上が困らない様に。
それでもあの時、犬伏の別れの際に交わした約束を言いだした信之に
では、今ここで酒をという幸村。
立ち去ろうとする信之に、兄上と酒を酌み交わしとうございますと言い放つ幸村。
これは今生の別れではない!
振り返ることなく立ち去る信之。
酒を酌み交わすということは、
振り返るということは
今生の別れを意味しそんなことはあってはならないと思ったのでしょう。
叔父上のほっぺちと生きたいように生きれば良いの一言。
真田家の辛い辛い場面でした。
今日はここまで。つづく・・・