ひらめき今週の朝ドラでは、ちょうど日本国憲法が新聞に掲載されて、主人公がそれを読んでいるシーンがありました。法律を学び女性差別を受けてきた主人公にとって、憲法第十四条の『すべての国民は、法の下に平等であって‥』が、これから生きていく強い力になったようです。

 

【テレビの画面から】

さて今回は、日本国憲法はどのようにして作られたのか、勉強しましょう。

 

幣原喜重郎が首相に就任

敗戦の1945年8月17日、歴史上最初で最後の皇族内閣が誕生した。首相は元軍人の東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)で、「一億総ざんげ」を呼びかけ、「国体護持」(天皇主権制)をとなえてGHQと対立した。対立しても勝てるわけがなく、10月にGHQが「民主化指令」を出すと、東久邇宮内閣は総辞職した。

吉田茂の後押しや昭和天皇じきじきの説得などもあり幣原喜重郎が首相に就任した。

【総理在任時の幣原(1945年秋ごろ)73歳】

幣原は、当時の政界では忘れられた存在となっていたが、1920年代に外務大臣として協調外交を進めた外交官で米英によく知られた人物だった。アメリカと関係が良好で戦争犯罪に問われず国際関係に精通している人が必要だった。

1945年10月11日、幣原は、マッカーサーに新任の挨拶を行うためにGHQを訪問。マッカーサーからは、ポツダム宣言にそって『日本の民主化』を実現するために憲法改正を行うこと、そして、五大改革をできるだけ速やかに実行する指令が出された。

 

GHQの五大改革とは

①女性参政権をあたえること

1945年12月、衆議院議員選挙法が改正されて、女性にも参政権を認められた。

満20歳以上の男女に参政権が与えられ、さらに、女性参政権が認められた後の最初の選挙(1946年4月)には、女性議員も誕生した。

 

②労働組合の結成を進めること

1945年12月、労働組合法という法律が制定されて、(団結権)(団体交渉権)(争議権)の3つの権利が労働者に保障されるようになった。

 

③自由な教育をおこなうこと

国定教科書が廃止され、教科書は民間企業が作るようになった。国は教科書の内容をチェックする権限を持っていて、国に認められた教科書だけが世に出回った。各自治体には教育委員会が設置され、1947年学校教育法制定で、小学6年・中学3年・高校3年・大学4年の新たな学制がスタートした。

 

④秘密警察や治安維持法の廃止

国民の言論や思想を問答無用で弾圧して、日本の軍国主義の原動力にもなっていた特別高等警察・治安維持法・が廃止された。

 

⑤経済機構の民主化(財閥の解体・農地改革)

国の手厚い保護を受けながら日本の軍事産業を支えていた財閥は、政府と癒着関係にあることが多かった。GHQは、財閥を解体するよう日本政府に命じた。

また、1946年、自作農創設特別措置法という法律が制定され、本格的な農地改革がスタートした。農地改革の目的は「寄生地主を排除して、小作人たちを自立させること」で、寄生地主が持つ土地を国が強制的に買い取って、小作人たちに安価で売り渡した。

 

1945年から1947年にかけて行われ、この改革によって、日本人は、『民主主義』というものをあらためて意識することになり、日本の民主化はすすんでいった。

 

 

憲法制定にいたるまで

幣原内閣は、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会を作り、憲法改正の検討を始めた。しかし、委員会で作られた松本試案は、天皇の統治権を基本的に認めるなど内容的には大日本帝国憲法と大差なく、「民間草案よりも、さらにずっと遅れたものである。」とGHQから却下された。

GHQは日本の民間憲法草案や外国の例を参考にして、独自の英文の改正案を作成し、その精神に沿った案を作るように要求した。日本政府はこれを受け入れると決定し、これに少し手を加えて日本語訳したものを政府原案として国民に公表した。その内容は国民の多くの予想をはるかに超える民主的なものであった。

この改正案は、衆議院と貴族院で修正・可決され、日本国憲法として1946年11月3日公布、1947年5月3日から施行された。

 

【日本国憲法原本】

 

ひらめき政府における松本試案とは別に、各政党や有識者による憲法改正の民間草案の発表がありました。このうち、森古辰男らを中心とした憲法研究会の案は、GHQ案の土台になったと言われており、現行憲法に最も近いものでした。

ところで、国民は憲法改正についてどう考えていたのでしょう。国民は当時、多くの人が住む所や仕事を失い、日々食べていくだけがやっとで、憲法どころではありませんでした。しかし、平和や民主主義に飢えていたことは確かで、1946年5月に発表された政府案に対する国民の意識調査に、そのことが現れています。天皇の象徴性について85%が支持し、戦争の放棄の明文化は70%が必要としています。

そして忘れてはならないのは、憲法の審議には沖縄・奄美・小笠原の代表は参加していないということです。当時、これらの地域は、アメリカの占領統治下におかれ、日本国民でありながら、衆議院議員選挙にも投票が認められませんでした。

 

 

日本国憲法の前文と3大原則

憲法とは、国のしくみや政治の仕方の基本となる法である。憲法を定めて国の治め方を内外に示すやり方を「立憲主義」という。独裁国家をのぞく先進国には、みな憲法がある。憲法は、刑法や民法などのどの法律より優先される。

日本国憲法は、前文と、13章、103条で構成されている。

 

【大日本帝国憲法とはどうちがうのか?】

明治維新の時、おもにドイツの憲法に学んで作られたのが、大日本帝国憲法だった。当時としてはすぐれた憲法だったが、天皇に全ての権力が集中しており、それが戦争に進む要因になった。新しい日本国憲法では、国民が直接選挙する国会を「国権の最高機関」とし、天皇は政治的機能を持たない「日本国民統合の象徴」となった。はっきりと国民に主権があることを示し、ひとり一人が尊重され、政治に参加できる権利が認められた。

 

【日本国憲法の3大原則】

『主権在民』・・国を治めるやり方を決定できるのは天皇や総理大臣ではなく、国民である。国民が選挙で正当に選んだ人が議会で話し合って、そのやり方を決める。満20歳以上(現在は18歳以上)の男女全てに選挙権があたえられ、間接的に政治に参加できるようになった。国民は選挙で議員を選ぶことによって主権を使えるので、選挙に行くことは重要なことである。

『平和主義』・・第二次世界大戦の反省にたち、日本は外国との間の問題を解決するために戦争をすることは永久になく、戦力を持たない。他国の憲法にない大きな特徴である。しかし、自衛隊が戦力にあたるか、自衛のための戦いがどこまでを意味するのか、などについて議論が続いている。

『基本的人権の尊重』・・国民はみな平等で自由である。国民が生まれながらに持つ権利を基本的人権という。基本的人権は、生命・財産・名誉などすべての人間が生きていく上で一つな権利であり、日本国憲法では、侵すことができない永久の権利とはっきり書いている。例えば「治安維持法」によって人権(自由権)を制限することができた旧憲法とは違い、日本国憲法のもとでは「治安維持法」のような法律は憲法違反になる。

 

【日本国憲法の改正について】

日本国憲法は、1947年に施行されてから、一度も改正されたことがない。

日本国憲法の改正には、厳しい手続きがあり、最後は国民投票で国民の半数以上の承認で、成立する。

 

【憲法改正について、2022.5.3のニュース報道の報道】

それぞれの政党がどのように考えているのかがわかる。

 

憲法改正をめぐって岸田総理大臣は、「大規模災害など緊急事態の際に、国会の機能をどう維持するかを規定することは現実的な課題だ」と指摘し、自民党として改正案の発議に向け、議論を加速させたい考えを示している。

 

ひらめき占領下において作られた幻の教科書があります。

『あたらしい憲法のはなし』です。

1947年に当時の文部省は、5月に施行された日本国憲法の解説のために、新制中学校1年生用社会科の教科書として、この教科書を発行し、日本国憲法の精神や中身を易しく解説しています。

この中で、新憲法に掲られた、戦争(戦力)放棄条項について解説する前に、読者である中学生に向けて次のように呼びかけました

『…いま、やっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったのでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすということです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。…

そこでこんどの憲法では、日本の国がけっして二度と戦争をしないように二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍隊も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。…もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることはけっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。…』

教科書の中の「戰爭の放棄」と書いた大きな釜の中で軍艦や軍用機を燃やし、その中から電車や船や消防自動車が走り出し、その脇で鉄塔や高層建築物が光り輝いて出てくる挿絵は有名です。どなたも、どこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。

しかし、この教科書は、1950年に副読本に格下げされ、1952年からは使用されなくなりました。1950年(昭和25年)朝鮮戦争時に、GHQのポツダム政令の一つとして警察予備隊(現在の自衛隊)が創設され、日本の事実上の再軍備が行われました。軍備廃止を賛美する『あたらしい憲法のはなし』の論調が、GHQ当局の新方針とそぐわなくなったからと言われています。ん~ん、なにかもやもやした割り切れない気持ちになりますうーん

 

今回も、読んでいただきありがとうございました。

【使用した画像や動画は、ネットからお借りしました。ありがとうございました。】