満州事変、満州国の建国、そして日中戦争へ。こうした日本の動きに反対した
のが、アメリカやイギリスでした。両国は中国に武器を供与するなどの支援を行
い、日中戦争は長期化し、日本軍の戦死者はさらに増えていきました。
これから、大きな戦争の局面に入っていきます。
なぜ日本は、アメリカやイギリスに開戦したのでしょうか。悲惨な戦争に入って
いく大切なところですから、真摯に向き合っていきたいです。
1940年9月、日独伊三国同盟が結ばれました。
【日独伊三国同盟の調印式 ヒトラー総統と握手する日本の来栖大使】
第二次近衛文麿内閣は、1940年(昭和15年)10月に大政翼賛会を発足。
新体制運動から生まれ、連戦連勝をしていたドイツのファシズム政党ナチスなど
を模倣したものでした。
(ファシズムとは、極端な国家主義・軍国主義政策を取り、対外侵略を進める一方、国内では
一党独裁によって共産主義・自由主義を弾圧する支配体制のことを言う。日本はファシズム勢力
が台頭していたイタリア・ドイツと手を結び、国民的な力を結集したファシズム的な組織つくり
をおこなった。)
国民生活全てにわたって統制する体制を整え、政党や労働組合もやむを得ず解散し
大政翼賛会のもとに上意下達の機関として活動しました。
小学校は『国民学校』にあらためられ、通っていた子どもたちを少国民といい、
年は幼くても、立派な国民というわけです。自然に軍隊や軍人に親しみを持つよ
うな教育が行われ、子どもたちも『軍事教練』を受けました。
すぐに増える兎は、毛皮や食料として重用され家庭での飼育が奨励されました。
家庭で飼っていた馬や犬も軍隊に供出されました。
開戦までの日米交渉
アメリカは、日本の勢力拡大となる日中戦争に反対で、中国に軍需支援をしていた。
1939年、アメリカは日米通商航海条約の廃棄通告をしてきた。
1940年1月、この条約は効力を失い、アメリカは10月、屑鉄の日本輸出を禁止。
日本は、軍需用物資の供給に大きな損害を受ける。
1941年4月、日本は、アメリカとの関係を打開するために、ワシントンで日米交渉
が開始されたが進展はなかった。
1941年6月、ドイツが突然ソビエトに侵攻。不意をつかれたソビエトは劣勢となる。
北からのソビエトの脅威がなくなった日本は、欠乏している石油資源を手に入れる
ため、東南アジアのフランス領インドシナ南部(ベトナム)に軍隊を送った。
アメリカの経済制裁
ただちにアメリカ大統領のルーズベルトは、在米の日本人の財産を差し押さえ、日本
への石油輸出を停止し、経済制裁を加えることで日本の対外進出に対抗した。
日本は、石油などの資源を求めて南方進出したが、アメリカからの制裁によってかえ
って苦しくなる。対米開戦を避けるために、アメリカとぎりぎりの外交努力を続けた。
1941年10月、中国からの撤退を強硬に求めるアメリカとの交渉に行き詰まると、近衛
内閣は総辞職し、陸軍の東條英機が陸軍大臣も兼任し、総理大臣となる。
【1940年代に撮影された東條英機】
アメリカとの最後の交渉
11月、アメリカ・ワシントンで、アメリカ国務長官のハルから、日本側へ最後の
交渉文書が渡された。
〇中国およびインドシナからの日本軍の全面的無条件撤退
〇日独伊三国同盟の廃棄
〇満州事変以前の状態への復帰
日中戦争が予想以上に長期化し、日本はそれまで18万人以上の戦死者や数十万の
負傷者をだし、その数倍もの遺族が苦しんだ。その犠牲に見合うだけの戦争成果を
求めていた日本にとっては、到底飲めない要求だった。また国民の期待は大きく、
中国からの撤退を受け入れることはできなかった。
アメリカとの交渉は、不成立に終わった。
御前会議1941年12月
御前会議によって、アメリカ・イギリスに対する開戦が、最終的に決定した。
1941年12月8日、日本軍は、ハワイ真珠湾を攻撃した。
「臨時ニュースをもうしあげます、臨時ニュースをもうしあげます・・
大本営陸海軍部12月8日午前6時発表、帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋に
おいてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態にいれり・・」
こうして、太平洋戦争が始まり、アメリカの太平洋艦隊に大きな損害を与えた。
【炎上する真珠湾の上空を飛行する九七式艦上攻撃機】
真珠湾攻撃の2日後、日本軍はマレー沖海戦で、イギリス軍の東洋艦隊に大打撃を与え
シンガポールまで一気に進んだ。
日本軍は、イギリス領マレー半島、シンガポール、ビルマ(ミャンマー)、アメリカ
領フィリピン、オランダ領東インド(インドネシア)など、またたく間に占領した。
こうして、開戦から半年で、東南アジアから南太平洋までの広大な地域を日本は支配
下においたのである。
アジア太平洋戦争が始ったのは、1931年の満州事変勃発からちょうど10年後。
第二次世界大戦時には、飛行機がすっかり主役の兵器になっていました。
日本の零戦は、日本の海軍の主力戦闘機でした。開戦当初から抜群の運動性能と長い
航続距離で華々しい戦果を挙げました。しかし、しだいに研究され、撃墜されるよう
になりました。アメリカで開発された大型爆撃機B29は、多くの爆弾を積むことが
でき、高空を飛べたので、地上からの攻撃を受けずに爆弾を落とすことができたので
した。
真珠湾攻撃から半年で、日本軍の戦線は最大限に拡大しましたが、翌1942年6月の
ミッドウェー海戦での大敗を転機に、南太平洋の日本軍は次々と壊滅していくこと
になります。
次回は、敗戦へ向かう日本について勉強しましょう。
最後まで読んで、おつきあい下さりありがとうございました。
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