ひらめき昨日、新聞のコラムを読んでいたら、こんな記事を目にしました。

ちょうど今、勉強している時代の出来事でした。

この男、結構多くの悪事を働いていたようで、無期懲役のところを戦後の恩赦で仮釈

放されたそうです。貧しい家庭環境に育ち、世の中は恐慌続き、強盗しか生きるすべ

がなかったのか、それにしても説教する強盗なんて聞いたことがない。

嘘のような、笑い話のような話でした。

 

さて、前回は、関東軍の陰謀で張作霖爆殺事件が起こりその処理をめぐって、天皇の

不信を買い、田中義一内閣が総辞職したところで終わりました。

次に首相になったのは浜口雄幸です。

浜口雄幸はのちに、狙撃を受けて、その傷がもとで亡くなった首相です。

今回は、浜口内閣の時代について、勉強しましょう。

【浜口雄幸は、その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた。】

 

浜口雄幸内閣

昭和4年(1929)田中義一に変わり、立憲民政党総裁で大蔵官僚出身の浜口雄幸

総理大臣になる。

 

井上財政

【浜口内閣の蔵相時代】

大蔵大臣に井上準之助(前日本銀行総裁)を起用した

〇財政緊縮を行なうデフレ政策をとり物価の引き下げをはかった。

〇中小企業を整理し産業の合理化を促進し、国際競争力を強化しようとした。

〇為替相場の安定のため、昭和5年(1930)金輸出解禁(金解禁)を決断。

真顔金輸出解禁とは、金本位制(通貨の価値の基準を金におくこと)にし、輸入品の

代金の支払いを金で行うのを認めることである。

第一次世界大戦中、欧米諸国と同じように金本位制度をやめた日本だったが、大戦

後欧米諸国は、金本位に復帰したが、日本は不況続きで復帰できずにいた。

金75g=100円でいつでも交換できるようにして、円の信用を取り戻そうとし

た。国の支出を減らして(財政緊縮)、一時的に不景気になるが、円の価値が一定

になるので、貿易は安定し輸出が増える。

この政策は、国民・財界からも支持されたが・・

 

ところが、昭和4年(1929)10月、アメリカの株価が大暴落。不景気は世界中に広

がり、世界恐慌となった。

真顔恐慌とは、不意に起こったことにみんながパニックを起こすこと。アメリカ

では1924年頃から株価が上がり、国全体が投資ブームにあった。1929年ニュー

ヨークのウォール街(株式市場)で突然株価が暴落した。急にみんなが株を売り

に走り、大パニックになってしまった。

借金をして株を買っていた人は、破産。労働者も沢山解雇された。

そして、世界中に不景気の波が広がっていったのだ。

 

金輸出解禁による不景気に加え、世界恐慌の影響で輸出は激減、日本にとって最も

深刻な昭和恐慌が起きてしまった。

中小企業の倒産が相次ぎ、町には失業者があふれ、労働争議が多発した。大学を出

た人たちも職を得られず、苦しい生活を強いられた。

繭価も暴落、製糸業・養蚕業も大打撃。米の値段も下がり、農産物価格も下落し、

農村恐慌が起こる。「娘の身売り」「欠食児童」などの悲しい流行語ができた。

このように井上財政は、最も悪いタイミングで、悲劇的な結末を招いてしまった

のであるショボーン

 

【外交面】

外交では、再び幣原喜重郎が外務大臣となり、協調外交を行った。中国政策の改善

に乗り出し、話し合いや軍縮で日本の権益を守ろうとした。

昭和5年(1930)、日中関税協定を結び、中国の関税自主権を認めた。

また同年、ロンドンで開かれた海軍の軍縮会議に参加した。

当初の要求のうち、総トン数の対英米約7割は認められた。しかし大型巡洋艦の

対米は7割を下回ったが、政府はこのロンドン海軍軍縮条約に調印した。

これに対し、海軍軍令部、右翼さらに野党立憲政友会など、政府が海軍の許可なく

勝手に条約を結ぶのは、統帥権の干犯であると反発。

浜口内閣は「天皇が最終的に権限をもっているが、条約締結は外交の問題であり、

内閣がやるべきこと」とした。軍縮により、船の建造費を抑えて財政の引き締めを

行ったが、軍や右翼の人たちにうらまれることになる。

 

浜口雄幸は、条約批准から1か月後、東京駅で右翼の一青年に狙撃され重傷を負い

、翌年の昭和6年(1931)8月に死去する。(61才)

浜口に代わって再び若槻礼次郎が民政党の総裁を引き受け、第2次若槻礼次郎内閣

が成立する。幣原喜重郎は引き続き、外務大臣についた。

 

ひらめき大正から昭和にかけて、欧米生まれのスキーやゴルフ、テニスなどのスポーツ

が流行しました。庶民に一番の人気があったのは、大相撲でした。当時は春夏の2

場所でみなラジオにかじりついて聞いていたそうです。

昭和2年(1927)に初土俵を踏んだ双葉山は、1936年から69連勝の記録を作り

ました。双葉山の生家は、私の住んでいる近くにあります。

我が市が生んだ双葉山、現代の力士も尊敬する名横綱で、イケメンですウインク

【双葉山定次(1940年頃)】

 

さて、次回は満州事変が起こります。

軍部がだんだん強く外交を動かすようになっていきますショボーン

今回もつき合って下さり、ありがとうございまいた。

【使用した画像などは、ネットからお借りしました。ありがとうございました。】