今朝は、室温24、4℃。25℃を切った。

夏物やシーツなど、たくさん洗濯をした。

物干し竿が雨に濡れて、しずくが滴り落ちた。昨夜は雨が降ったようだ。

気持ちのいい朝、散歩道の土手下のコスモスが元気だ。

  

 

先日の新聞のコラム欄に、

昭和の浮世絵師、6代目歌川豊国さんのことが書いてあった。

(初代歌川豊国は、江戸時代の浮世絵師。東洲斎写楽らと役者絵の分野で競い、また美人画では、

人気絵師であった喜多川歌麿に挑み、読本や合巻といった版本挿絵の世界では、葛飾北斎とも人

気の上で互角に渡り合ったそうだ。豊国のもとには、才能あふれる若い絵師たちが集まり、

歌川国芳、歌川国貞らの師匠でもあった。昭和の浮世絵師、歌川豊国さんは、その6代目である。)

 

興味がわく内容だったので、コラムの一部を紹介しよう。

『歌川豊国さんは、父親と同じ胃がんを45歳で告げられた。父親は手術後、2年後

に亡くなった。自分は手術より体力をつけたいとマツタケを朝昼晩の1日3回食べた。

なぜマツタケか。「匂いがいいし、おいしい」。1ヵ月後、ガンは消えた。人生は不

公平だ。暴飲暴食しても長生きする人もいれば、酒やたばこもやらずひたすら健康を

考えていた人がぽっくりと死ぬ。マツタケを食べたからといって、がんが治る保証は

ない。たまたまその人にあったとしか言えない』

なんとマツタケを食べて、がんが治ったという不思議な話であった。

その後がまた面白い。

『歌川さんは、96歳で大学に入学した。翌年2000年、現役の学生のまま病気で

亡くなった。』と。

へえ~、凄い!びっくりびっくり

 

一体どんな人なのか知りたくて、【96歳の大学生】という本を買った(中古だが)

 

この中にマツタケの話も出てきた。

元々病弱な子どもで、12歳の時に肺結核になったそうだ。20歳の徴兵検査は腎臓

が悪くて「第二乙」、45歳でがん告知。「早く切った方がよい」と医者からいわれ

たが、手術をして急激に体力を失い、自分で治そうという意欲もなくなってしまった

父親の姿を見ていたので、手術より体力と思った。腎臓を食事療法で治した経験のあ

った歌川さんは、食事療法の本を読みあさり、霊芝や松茸が効くと書いてあり、匂い

がよく、舌に美味しいマツタケを選んで、値段は高いけれど、少しずつ食べたそうだ。

1ヵ月後、検診で見ると、がんは消えていた。以前のような胃の重苦しさはなくなっ

たそうだ。その後、1年を通じてマツタケが摂れるように「マツタケの四季栽培法」

の研究を始め、得意な写生をいかして、観察を繰り返し、本の中では『畑で実験中』

とあった。牧野さん顔負けの話だ。

 

妻の介護について

幻視・幻聴の症状が出た妻が骨折し、長い病院生活で90歳で寝たきりになってしま

ったそうだ。見舞いにいっても、孫や歌川さんの顔もわからない。

自宅に連れ帰り、できるだけ寝たきりにせず、排泄もタイミングをつかんで、すぐ取

り替える。先行き不安の日々を過ごしたが、胸をはって言えるほど、たくさんの医学

書を読み、独自の方法を模索しながら刺激療法を取り入れた介護をしたそうだ。

『どんな介護でも治療でも、独自の工夫と愛情をもって施すことが大切だと思います』

と書いてあった。

愛情があっても、そう簡単にはできないことだと思うが・・。

 

なぜ、大学に?

最終学歴は「尋常小学校卒」であった。平成8年に定時制高校に入学、3年で卒業後

念願の近畿大学法学科二部に合格。

卒業時は100歳。その後は大学院に進むことを志していた。

『これまでの私の実体験を文献として書き残すために高度な教育を身につけたいと考

えたからなのです。学問の道を歩んでいるのは、そのための手段であり、大きな目標

でもあるのです。』と書いてあった。

 

【生涯青春】の心意気を持ち続けるための10か条

本の最後に『私の健康の元、元気の源は、つねに青春の心を持ち続けることです。』

と書いていた。生涯青春の心を持ち続ける10カ条とは、

『一青春とは情熱を燃やし続けること、一青春とは新しさを求めること、一青春とは

人生の歓びを持つこと、一青春とは老いを感じないこと、一青春とはつねに幸福だと

思うこと、一青春とは健康だと信じること、一青春とは未だ青春なりと念じること、

一青春とは異性への尊敬と憧れをもつこと、一青春とは自己の未完成を知ること、

そして、最後に青春とは自己を信じること。宇宙の中の唯一無二の存在である自分と

いう人間の存在を、まるごと肯定すること。』

 

浮世絵に関する論文により博士号を取得することを目標にし、勉学に励んでいた矢先

平成12年に、急性心疾患により自宅で死去した。享年97だった。大学院進学は、実現

できず、本人としては、やり尽くしたとは言えず、無念だったか・・

だが、いくつになっても歌川さんの目標は、果てしなく続いたであろう。

本を読んでいると、驚かされるばかりで、学ぶべきことが多い。

本の中では、明治から平成の中を生き抜いた歌川さんの波乱万丈の人生についても書

かれていた。そこはこれからじっくり読むことにする。その中には浮世絵師としての

歌川さんの姿も出てくるだろう。もっと、驚かされるかも・・

 

実は昨日、生垣の剪定をした。客が来るので、気になるところだけでもと思ってやっ

たのはいいが、その後、久しぶりに腰痛になってしまった。今朝も腰を曲げると痛い

ので、「年を取ったな~」と感じた。歌川さんに言わせると、「老い」を感じたその

日から本当の「老い」が始まっていくのだと。老いを感じる暇があったら、少しでも

工夫して、世のなかに役に立つことを考えなさい!と、言われそうだわウインク