うちの庭の百日紅、福岡から帰って来たら、

 

そして、数日後に見事咲きました。

ふりふりの白い花びらが可愛くてね照れ

今は、少しずつ花びらが散っていますが、毎日玄関から出ると、

つきだした枝先の花が、「みてみて!」って言っているようです。

気持ちが和やかになります。

 

福岡から帰宅後、少し忙しい時間を過ごしていました。

8日、隣の義父母宅の大掃除(古い家なので、お縁の汚れがひどくて・・)

9日~10日は実家の草取りと草刈り、掃除。

  

 

11日、父の七回忌、母の三回忌法要、盆供養のお経

(お経は35分ほどで、その後、住職さんがいつものようにお話をしてくれました。

その中で、宗教は、心に安らぎをもたらしてくれるもので、

人の心を支配して、不安をあおるようなものではないということを、

強調しておっしゃっていました。)

 

12日、義父母の盆供養のお経

 

実家の父母の法要は、のびのびになっていましたので、無事終えることができて

ホッとしました。

姉妹3人と相方の6人だけでしたが、久々に姉妹3人が集まり、

お喋りに花が咲きました。

大分の長姉は、昼食後休憩してから、帰りました。

福岡の次姉は、10日から13日まで実家に滞在しました。

11日にお墓参りをして、ご先祖様を連れ帰りましたから、

父母は、さぞ喜んでいたことでしょう。

 

今朝、別府霊園へ、義父母のお墓参りをして、家に連れ帰りました。

お盆の間は、仏壇に義父母の好きだったものを供え、思い出話をしながら、

ご先祖様に感謝しながら、ゆっくり過ごします。

 

PS:お盆について、ちょっとだけ

住職さんが盆供養にいらっしゃると、毎年必ず小冊子を置いて行かれます。

その冊子には、お盆の由来について毎度書かれています。

そこで、フフッひらめき歴史好きな私にちょっとだけお耳をかしてください。

 

お盆の歴史は古く、『日本書紀』にその始まりとされる記述があるそうです。

今と同じような祖先供養のお盆として催されたのは606年、

推古天皇が僧や尼を招いて食事や様々な仏事を行う行事を行ったのが

起源と考えられています。

平安時代には貴族・僧侶・武家など宮廷の上層階級で主に催されました。

その後江戸時代に入り、庶民の間にもお仏壇やお盆行事が広まりました。
ローソクも大量生産で庶民が安価で手に入れられるようになったため、

提灯がお盆行事に広く用いられるようになりました。

長い年月をを経て、現在でも地域ごとにさまざまな行事があり、

それは私たちの亡き人を想うすなおな気持ちの表れです。

 

「お盆」は仏教行事の一つで、正式には「盂蘭盆会」といいます。

「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という言葉は、

インドのサンスクリット語の「ウランバナ」という言葉に

日本の漢字を当てはめたものと考えられています。

ウランバナとは「逆さ吊り」という意味の言葉で、

盂蘭盆会は「逆さに吊りにされたような苦しみを除く」という意味になります。

 

お盆と逆さ吊りがどう繋がっているのか、「仏説盂蘭盆経」というお経に、

次のような教えが記されています。

お釈迦様のお弟子、目連尊者は優れた神通力によって、

亡くなった母親が餓鬼道に落ち、逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。
食べ物も飲み物も口にすることが出来ない母親をどうしたら救えるのか・・

お釈迦様は、
「あなたが多くの人に施しを行うことで人々が喜び、それが母親を救うことになる」
と教えを説きました。

そこで目連尊者はお釈迦様の教えに従い、夏の修行期間のあける7月15日に

多くの僧侶・尼僧に供物をささげて供養を行いました。すると

その功徳が餓鬼道にいる母親の元へ届き、極楽浄土へ救い上げることができた

というエピソードが語られているそうです。このお経の教えが後に

多くの人々に広まり、お盆という行事へと繋がっていきました。