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9/5日で沖縄県は緊急事態宣言解除致しましたが、 しっかり状況の確認をしてから来沖下さい 。「ぬちどぅ宝(命は宝)よー」
2026年の首里城再建へ
沖縄は頑張っています❣
今週の本題はこちらから
※ 写真や動画は全てインターネットから引用です
沖縄県民の「アイデンティティー」の1つである首里城ですが、現在、上記の通り2026年の再建を目標に頑張っています。皆様に御寄付頂いた再建費用がどのような形で首里城に変わっていくのか、その様子を観光客の皆さんと共に見て頂き、感じて頂きながら「見える再建」取り組んでいます。本日はそんな頑張り中の首里城から「京の内(きょうのうち)」をご紹介いたします。
沖縄 琉球王国
・「京の内」の場所
首里城には、正殿の入り口「奉神門(ほうしんもん)」に向かって右後方側に広がる建物が無い緑豊富な場所が存在します。この部分こそが「京の内」エリアです。城壁の中なのに建物を建てず、自然を人為的に造りだしました。そこに実は琉球ならではの訳が隠されているのです。
・神への祈りの場所「御嶽(うたき)」
琉球王国は神が創った島とされ、その神々を信仰する風習が色濃く残っています。今でも県民の中(特に離島)には「ゆたー」と呼ばれる霊媒師❓霊能力者❓(霊や神と交信できる者)に意見を聞き、その意見を生活の中に生かしている人も少なくありません。琉球王国時代は国を挙げて神々への信仰を行っていました。今風に言えば「神々信仰省」があったと思って頂けるとイメージしやすいかと思います。
その神々と交信する場所こそ「御嶽」と呼ばれる空間です。御嶽=神社の様な物で、琉球では建物を建てるのではなく、大自然の中の空間内にそれを見出したのです。神社と同じように王国内の至る所に御嶽は存在します。有名なのが南城(なんじょう)市にある王国お抱えの空間だった斎場御嶽(せいふぁうたき)です。
※斎場御嶽(神々信仰省の大臣任命等の重要な行事が行われた場所)
・首里城内に10もある御嶽
実は首里城公園内にはその「御嶽」が10も存在します。その半分がある場所、それが「京の内」エリアなんです。現在、御嶽の名前は文献等の記録から全て把握されていますが、その場所が特定されていません。はっきり所在が分かっているのは「首里森御嶽(すいむうたき)」を始めとする数か所のみで、その他の御嶽は「京の内」のどこかに存在しています。「京の内」は首里城最大のパワースポットなのです。
※「京の内」の中
・なぜ首里城公園内にパワースポットエリアを残しているのか
先にも紹介したように琉球王国にとっての「神々への信仰」は非常に重要なことでした。今で言う「神々信仰省」は国の繁栄を願うのが仕事です。しかもこの省の構成員は国王家族を大臣とした「琉球国民女性」のみでしたから、大臣が居る首里城内にその祈りを行う場所が必要だった事が一つあります。
もう一つ重要な理由がこの首里城がある土地こそが「この島を創った神様が降り立った地」とされています。(実は、その場所こそ「首里森御嶽」)首里城が創建するよりもずっと前からこの土地は「祈りの地」として存在していたのです。だからこそ城内に人為的に自然を残す必要があったのです。
※首里森御嶽
※「京の内」を回り祈りを捧げる女性達(再現)
※首里城公園MAP(現在 有料エリアの本殿等は再建中です)
本土の城とは一味も二味も違う首里城から「京の内」の紹介でした。
沖縄県民が何故首里城を県民のアイデンティティーと位置付ているのか、何とか書いたこの文章から少しでも御理解頂けてると嬉しいです。
※ 所説色々 コメント欄にもご注目下さい。新たな知識が得られますよー
本日はここまでです。
お付き合いいただき、ありがとうございました(^_-)-☆
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もう貴重な一枚ですね 元気かな安室奈美恵さん
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