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2026年の首里城再建へ

沖縄は頑張っています❣

 

NEW今週の本題はこちらから下矢印NEW

※ 写真や動画は全てインターネットから引用です

 

最大の誤認識

2018-11-04 (2020.08一部改訂)

 

皆さん、こんな話聞いた事ありませんか❓❓

 

琉球王国時代、首里政府は全ての国民に対して武器の所持を禁止し、その全てを首里城の一室に集め封印した。

 

この、非武装国家「琉球王国」という国が存在するという情報は当時、フランスの皇帝「ナポレオン」の耳にまで届いたほどの噂になりました。

 

実はこの非武装国家話は全くのフェイクニュースです。ガーン

ただ誰かがわざと流した情報ではありません。

 

琉球王国の資料は第二次世界大戦炎でほとんどが灰になり、歴史を伝える品々は戦利品として強奪されたり、命と引き換えに譲渡されたり、大部分が残されていません。えーんえーん

 

随分昔のBlogでも紹介しましたが戦前のカラーの首里城の写真1枚でさえも非常に貴重な品とされているほどで、450年の王国の歴史をひも解く資料はほんのわずかです。その中で少しづつ資料が発見公開され、様々な議論がなされて琉球史として公表されていく過程で生まれた誤解がこのフェイクニュースの原因に一役買ってしまいました。

 

黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま

 

事の発端は 尚真王(しょうしんおう 在位:1477年-1527年)が平和を願うあまり発言した内容を現代人が解釈を間違えたため、琉球で刀狩りが行われたと結論付けられました。なぜ解釈を間違えたのか気になりませんか??

実は、漂流した外国船を助けた際に上陸した外国人が琉球で武装した人を見なかったことを「非武装国家琉球王国」として話し遠く欧州の文献に記録として残した事が大きな原因で、これが大きく琉球史の解釈に影響を与えたと考えられます。

 

そりゃ、資料は少ないは、外国の噂は絶えないはで、琉球王国の歴史は研究者泣かせですねアセアセアセアセ。。。

 

尚真王下矢印

 

実際に尚真王が発言した内容は後の研究で「琉球王国が持つ武力や財力は他国より秀でている。すべての武器を王国を守る目的で使おう(意訳です)」っとまったくの逆の発言だったと結論付けられ、さらにそれを示す資料が整いだしています。現在、1543年に種子島に鉄砲が伝来したよりも100年も早く琉球には鉄砲が伝来していたことが明らかになっており、尚真王の発言はかなり信憑性があります。爆  笑爆  笑爆  笑

 

今日はそんな話をしてみようと思います。

 

13世紀~16世紀 日本海側、東シナ海には海賊が出没し、度々貿易の大きな妨げになっていました。その名も「倭寇(わこう)と呼ばれる集団です。彼らは日本人の一部・東南アジアの一部の人々で構成された集団で 出会うと最後 金品は愚か、人命も奪ってしまう恐ろしい集団でした。ガーンガーン

 

これらに対抗すべく中国側は数多くの軍艦を配備し警備にあたっていました。そのおさがりが一部 琉球へ流れます。琉球からの朝貢船もこれを利用していましたが、残念ながら明国から船に装備されていた武器までは貰えなかったようです。歴史書の中で武器を持たない琉球の朝貢船が倭寇に襲われ全滅させられた記述が残っています。それ以降の琉球の朝貢船には大砲等の武器を装備したものが出航していたそうです。

 

その大砲などの飛び道具はどこから来たのか??

それは1543年に種子島に鉄砲が伝来したのと同じようにポルトガル人によるものが主流だったようです。ただしポルトガル人は悪天候で漂流し、偶然 琉球王国に辿りついたとされています。その時に伝来したのかは定かでありませんが以後、何度もポルトガル人は琉球を訪れた記録が残っています。薩摩が侵略してきた1609年には映画「もののけ姫」に登場したのと同じ形式の大小異なる銃(火縄銃)を政府が200丁も所持していたそうです。中国大陸からも銃や火薬が入るようになります。琉球は火薬の製造に必要な硫黄が大量に採れましたので、火薬に不自由しませんでした。もし琉球王国への認識が当時の日本国内側で違っていれば、日本の歴史にも大きな変化が起きていた可能性は十分にありますね爆  笑

 

沖には怖い倭寇がいます滝汗滝汗。彼らは時折 上陸して荒行を働く事もあったそうです。上陸を防ぐためには明国のように強靭な海軍を島近郊に配備しておけばよかったのですが四方が海の琉球王国ではなかなかそれができません。そこで倭寇が那覇港に侵入されないようにする工夫をします。それで できたのが那覇港の入り口の「三重城(みーぐすく)と対岸には「屋良座森城(やらざむいぐすく)と呼ばれる要塞です。東京湾の海堡見たいですね

 

下矢印が「三重城」これより上の部分が那覇港に出入りする予定の船達です

対岸には屋良座森城(写真左上)

この三重城 根元から先端まで62m.あったそうですよ

 

三重城を上から見た図 

要塞以外にもお寺で航海の安全を願い、その先の三重城で出航を見送るという機能を持っていた可能性が高いですね

 

現在の地図から

赤いが三重城です昔の地図と比べると那覇も随分埋め立てられましたね

現在の三重城は「ロワジールホテル」の裏に石垣の一部と鳥居が残っているのみで、海上保安庁が管理しています

 

こうやって見ると琉球も随分イメージが変わりますね

琉球王国は十分に当時の流れにのった武装王国で 決して世界に先駆ける「非武装国家」ではありませんでした。ザンネンですが事実の話。

 

一筋縄で行かないのが沖縄の良いとこでもあり悪いとこですね( ´艸`)

 

 

 

今週は以上です。

お付き合いいただき、ありがとうございました(^_-)-☆

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もう貴重な一枚ですね 元気かな安室奈美恵さん下矢印

 

 

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