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今週の本題でーす!!

※ 写真は全てインターネットから引用です

 

最大の誤認識

 

皆様、琉球王国に関してこんな話を聞いたことありませんか??

 

「琉球王国時代、首里政府は全ての国民に対して武器の所持を禁止し、その全てを首里城の一室に集め封印した。その結果、琉球は争いごとのない平和な国家になった。」というお話。

 

 

当時もこの話はセンセーショナルなニュースとしてフランスの皇帝「ナポレオン」の耳にまで届いたほどの噂になりました。

 

琉球王国は武器の無い平和な国として今でも理解されています。

 

実はこの非武装国家話 全くのフェイクニュースです。ガーン

かなりショッキングな話ですが本当の話です。

 

ただし誰かがわざと流した情報ではありません。

琉球王国の資料は第二次世界大戦でほとんどが灰炎になり、歴史を伝える品々は戦利品として強奪されたり、命と引き換えに譲渡されたり、大部分が残されていません。えーんえーん

 

先のBlogでUPしましたが戦前の首里城のカラー写真1枚でさえも非常に貴重な品とされているほどで450年の王国の歴史をひも解く資料はほんのわずかです。その中で少しづつ資料が発見され公開され万人が読み様々な議論がなされて歴史として公表されていく過程で生まれた誤解がこのフェイクニュースに一役かってしまいました。

 

黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま

 

事の発端は 尚真王(しょうしんおう 在位:1477年-1527年)が平和を願うあまり発言した内容を現代人が解釈を間違えたため琉球で「刀狩り」が行われたと結論付けられました。なぜ解釈を間違えたのか。それは世界中を駆け巡った「非武装国家琉球王国」の話が遠く欧州の文献に残っていたことが大きく当時の解釈に影響したと考えられます。

そりゃ、資料は少ないは、噂は絶えないはで琉球王国の歴史は研究者泣かせですねアセアセアセアセ。。。

 

尚真王下矢印

 

実際に尚真王が発言した内容は後の研究で「琉球王国が持つ武力や財力は他国より秀でている。すべての武器を王国を守る目的で使おう(意訳です)とまったくの逆の発言だったと近年では結論付けられ、さらにそれを示す資料が整いだしています。現在、1543年に種子島に鉄砲が伝来したよりも100年も早く琉球には鉄砲が伝来していたことが明らかになっており、尚真王の発言の解釈にはかなり信憑性が出てきています。爆  笑爆  笑爆  笑

 

今日はそんな話をしてみようと思います。

 

13世紀~16世紀 日本海、東シナ海には海賊が出没し、度々貿易の大きな妨げになっていました。その名も「倭寇(わこう)と呼ばれる集団です。彼らは日本人の一部・東南アジアの一部の人々で構成された集団で 出会うと最後 金品は愚か、人命も奪ってしまう恐ろしい集団でした。ガーンガーン

 

これらに対向すべく中国側は数多くの軍艦を配備し警備にあたっていました。そのおさがりが一部 琉球へ流れます。いわゆるジャンク船と呼ばれる琉球の航海を支えた船です。丈夫で速く非常に重宝されました。ウシシ

 

琉球からの朝貢船もこれを利用していましたが、残念ながら明国から船に装備されていた武器までは貰えなかったようです。歴史書の中で武器を持たない琉球の朝貢船が倭寇に襲われ全滅させられた記述が残っています。それ以降の琉球の朝貢船には大砲等の武器を装備した朝貢船が出航していたそうです。

 

その大砲などの飛び道具はどこから来たのか??

それは1543年に種子島に鉄砲が伝来したのと同じようにポルトガル人によるものが主流だったようです。ただしポルトガル人は悪天候で漂流し、偶然 琉球王国に辿りついたとされています。その時に伝来したのかは定かでありませんが以後、何度もポルトガル人は琉球を訪れた記録が残っています。薩摩が侵略してきた1609年には映画「もののけ姫」に登場したのと同じ形式の大小異なる銃(火縄銃)を政府が200丁も所持していたそうです。中国大陸からも銃や火薬が入るようになります。琉球は火薬の製造に必要な硫黄が大量に採れましたので、火薬に不自由しませんでした。本土より100年も早く銃を手にしていた琉球王国が歴史と違う行動をとっていたら、近隣諸国の歴史に大きな変化を与えていた可能性がありますね爆  笑

 

沖には怖い海賊「倭寇」がいます滝汗滝汗。彼らは時折 上陸して荒行を働く事もあったそうです。上陸を防ぐためには明国のように強靭な海軍を海近郊に配備しておけばよかったのですが四方が海の琉球王国ではなかなかそれができません。そこで倭寇が那覇港に侵入されないようにする工夫をします。それで できたのが那覇港の入り口の「三重城(みーぐすく)」と対岸には「屋良座森城(やらざむいぐすく)」と呼ばれる要塞です。

 

上矢印」が「三重城」 これより上の船が那覇港に出入りする予定の船です

対岸には屋良座森城(写真左上)

この三重城 根元から先端まで62m.あったそうですよ

 

三重城を上から見た図

※ 要塞以外にもお寺で航海の安全を願い、その先の三重城で出航を見送るという機能を持っていた可能性が高いですね

 

現在の地図から下矢印

が三重城です昔の地図と比べると那覇も随分埋め立てられましたね

現在の三重城は「ロワジールホテル」の裏に石垣の一部と鳥居が残っているのみで、海上保安庁が管理しています

 

こういう事実を見ていくと琉球王国も随分イメージが変わりますね

琉球は十分に当時の流れにのった武装王国で 決して世界に先駆ける「非武装国家」ではありませんでした。ザンネンですが事実の話。

 

しかしこの後の太平洋戦争沖縄地上戦の経験により沖縄は平和を望む邦としてイデオロギーとアイデンティティーを確実に育みます。

 

一筋縄で行かないのが沖縄の良いとこ 悪いとこですね( ´艸`)

また来週ーーーー(@^^)/~

 

 

 

私たち 琉装している琉球民族ですルンルン  黒猫しっぽ黒猫あたま

来沖してね みんな待ってるよー!

 

ひっそり・こっそりやっています下矢印

 

 FC琉球 情報!(^^)! 

 

 

 

 

 

 

もう貴重な一枚ですね 元気かな安室奈美恵さん下矢印

 

 

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