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※画像は全てインターネットからの引用です
少し前のBlogでも紹介しました「かりゆしウエア」ですが現在の沖縄では夏の公式な服として完全に定着しています。
かりゆしウエアについては過去のBlogからどうそ
BEGINさんの曲を使用しまして書きました
かりゆしウエア
かりゆし(嘉例吉)とは、沖縄の言葉で「めでたい」という意味を表します。めでたい時=公式の場=礼服が転じて現在の沖縄県の夏の公式ウエアになっています。上の写真のように結婚式に「かりゆしウエア」を着て参列するのが最近の流行りの様ですよ。それ程「かりゆしウエア」は夏の暑い沖縄が生み出した正装となりつつあります。
「正装」という言葉ですが実は琉球王国時代より前の時代から琉球史に登場してきます。
琉球王国成立直前の時代を「三山(さんざん)時代」と呼び 北山(ほくざん)・中山(ちゅうざん)・南山(なんざん)と呼ばれる3つの王国が存在しました。これを統一してできたものが琉球王国なんです。
この三山時代で一番栄えていた国は那覇港を持つ中山王国でした。中山王国は那覇港を通して情報がいち早く入る場所、今で言う東京のような存在でした。三国の中でも一番早く明朝廷と朝貢関係を結んだものこの中山王国でした。トレンド事情で言うと、中山王国はダントツの情報力、残りの二国がそれに負けじと必死に食らいついているような情勢でした。
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この時代(鎌倉時代後期~南北朝鮮時代)の東アジア情勢は皆さんもご存知の通り圧倒的な軍事力を有した中国が最強の国として君臨していました。中国は近隣諸国の侵略行為を警戒し朝貢制度を開始、近隣諸国は中国と友好条約(=朝貢制度)を結ぶことで自国の繁栄を試みたのです。
当時の中国は全てがアジアNo,1 造船や医学などの学問を始め、ありとあらゆる分野の最先端が中国に集まっていました。近隣国から尊敬のまなざしで見られていた訳です。
シルクロード
ある時、朝貢関係にある中山王国の国王が自国の発展の為に力を貸してくれる華人に敬を表す為、中国側に官職と冠服(かんぷく)を与えてほしいとお願いします。その願いは聞き入れられ 彼らに官職と冠服が手渡されます。中山の人々にとってこの冠服の効果は絶大でした。
華人たちは尊敬の目で見られ拝まれるほどに、それを見ていた中山王が「冠服は自国の統治に使える」と考え、自信も冠服が欲しいと要求し、手に入れます。
これを聞きつけた南山王国・北山王国も それに習うように朝貢関係と冠服をゲットしていきます。
その後、琉球王国が成立し改めて明国に対し朝貢制度継続の意思を伝えます。
これにより琉球王国の正式な服装は「冠服」になりました。
※ イメージ図 このような服を正装として着ていたと思われます。
琉球王国時代の正装はチャイナ服だったのですね。
ただ琉球には下の写真のように「流装」と呼ばれる服装も存在していました。
こちらは琉球民族の普段着だと考え下さい。
儀式のときはチャイナ服を使用し、儀式が終われば流装をしていたようです。
流装も琉球前期のころはゆったりい着ていたようですが時が経つにつれて胴回りをピタッと切る様になったようです。
※ 琉球後期の流装です 手に持っている巾着が実はミソ 当時、大流行りしたものが入っていますが・・・
中身の話は後日させて頂きますね
ではでは、今週も「にふぇーでーびる(琉球語=(人''▽`)ありがとう☆の意)」でした
ではまた来週(@^^)/~~~
私たち 琉装している琉球民族です
来沖してね みんな待ってるよー
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