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名護市辺野古の埋め立てを県民投票が終わるまで待ってもらう為の署名です
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※ 写真は全てインターネットと勉強本から引用です
前にも首里城(ホントはしゅりぐすく)のお話をしていますが今回はそれに加えて新しいお話を1つしてみようと思います。(あと新エリア公開の宣伝( ´艸`))
首里城公園の来場者数は年間で沖縄県民の人口を超える人々が訪れます。首里城公園のメインと言えばよく写真に出てくるこの「正殿」ですよね
ここは「御庭=琉球語では『うなー』」と呼ばれるエリアで、様々な王国の重要な行事が行われました。ストライプ模様をバッサリ切るようにある
真ん中の1本の道
ここを「浮道(うきみち)」と呼んでいます。
現在はバリアフリーですが元々は周りより数センチ浮いていました。
ここを通れる人は国王と中国からの使節団のみです。
写真の左側から右側のエリアに移動しようと思うと一度正殿を出なくではならないほどの崇高な道です。
ジャンプして跨いでもダメですよ。( ..)φメモメモ
上記の写真をよく観察すると気づくと思いますがこの「浮道」は正殿に対して直角に設計されていません。「御庭=うなー」全体も空から見ると正方形ではありません。なんとも違和感が残る設計です。
沖縄地上戦時にほとんどの琉球の資料を失ってしまった為、この歪みの理由は残念ながら明らかではありません。
所説あるのですが私が一番「腑に落ちた」ものがこちらの説です
「浮道」に立ち正殿を背にして見てください。そこには朱色の門が見えると思います。その門を透かした先に見えるものそれがこちらの御嶽(=うたき 祈りをささげる場所です)
首里城を訪れる多くの人が素通りするこの空間です。名前を「首里森御嶽(=すいむいうたき)」といいます。
琉球王国の全てを統治した場所、「首里城」の浮道はこの小さな御嶽を基準に作られたという説です。先ほどの浮道の終着点はここにななります。小さいスペースに守らるように囲われたこの場所は、時の王たちが様々な思いを毎日、神様にお祈りするのに一番近い御嶽です。日常の国王にとっては非常に大事な空間だったと思われます。これを重視した為、浮道は正殿から歪んで設計されたのです。
実は「御庭=うなー」は昔は正方形に設計されていたことがわかっています。時の王達は国の情勢とともに450年の間に首里城内を改築・変形していったのだと思います。
この浮道のある「御庭=うなー」ですが行事以外では使用されていませんでした。
国王とその家族の日常は、正殿の後ろ部分で男子禁制の江戸でいう「大奥」に相当する空間で暮らしていました。
そのエリアの復元が終了し、つい最近、一般公開されました(2/1~)。このエリアを「御内原(=うーちばら)」と呼びます。王国王が日常を過ごしていた場所ですから一度は訪れたいエリアではありませんか。
今なら真っ白な琉球石灰岩の城壁を楽しめますよ
復元が進む首里城は飽きることがないですね
ぜひ、来沖の際は首里城へ来てください。
首里城公園HPはこちらをclick
空からみた御内原
昔紹介した首里城のBlogはこちらからどうぞ★
私たち 琉装している琉球民族です
来沖してね みんな待ってるよー
「あなたはどんな沖縄県にしたい
しっかり考えて投票しよう」
県民投票は天皇陛下の式典と同じ日の
2019年2月24日
埋め立て前の辺野古
※ キャンプ・シュワブは基地です(米海兵隊の実践練習施設なので森が生い茂っています)
今現在の辺野古、埋め立ては始まっています
もう貴重な一枚ですね 元気かな安室さん
もっと知って下さい沖縄のこと・名護市のこと
では、今週も「にふぇーでーびる(琉球語=(人''▽`)ありがとう☆の意)」でした
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