【プロジェクト参加 誠にありがとうございます】
このBlogは地域活性化の目的があります
詳しくは過去のBlogへどうぞ
今週の本題です
時は1908年、大日本帝国議会では驚く案が提出されていました。
この時代は琉球藩が廃止され、沖縄県が置かれた1879年から、太平洋戦争により最悪の形でクローズUPされる1945年までの数十年間の間で、この時期の出来事はほとんど知られていません。
今回は、この時代の1908年~1909年のたった1年の間に起きた大騒動をご紹介いたします。
世の中は領土拡大に燃え、他国を攻め入り征服することに必死だった時代です。
あちこちで戦争が起き、この6年後第一次世界大戦が勃発します。
日本は日清戦争(1894~1895年)で台湾の植民地化に成功します。沖縄県としては琉球王国時代に明国・清国と関りが深かっただけに色々と複雑な思いで事の成り行きを見ていた人々がいたかもしれませんね。
タイヘンナコトニナッテルサー
1869年 日本は蝦夷(えぞ)と呼ばれていたアイヌ民族が住んでいる北の土地を「北海道」と名付けます。そして日本に北海道が誕生します。
北海道の旗
そして、1908年・・・。
時代の背景も強く影響して、当時の沖縄県は日本にとって領土拡大に成功した過去の土地として認識されていたようです。この時代の内容についてはもう少し勉強が必要ですが、日本からの地域復興等の支援活動はほぼ「0」状態で、沖縄県民は「自給自足」の生活を余技なくされていました。
イキルノハタイヘンサー
そんな中、日清戦争で植民地化に成功して13年、日本国民の誰もが疑いもなく台湾は日本になると確信した頃、南の島々で沖縄よりも十分大きい島「台湾」を中心に、この海域の小さな島々を1つにまとめて広大な海洋エリアをつくり、その自治を台湾に任せる提案をします。
その名も「南洋道」
当時の琉球王国エリア+台湾を想定した新しいエリアの設定で、実現すれば沖縄県という名前さえも消滅するという話になります。当時の沖縄県知事は南洋道案を支持、県民は猛反発、県民からすれば琉球から沖縄さらに南洋道へ変わる事に目には見えない大きな不安があったと思われます。
琉球王国は昔、日本側から「琉球王国を琉球藩と呼びます」とお達しがあった時、首里政府は「日本側の琉球王国の呼び名が変わっただけ」と思っていました。事実は実質の日本吸収にあたる訳で、気が付けば琉球王国は日本に完全吸収されていました。当時の政府の思惑に気が付かなかったのです。この失敗を2度としないために名前の呼び名や境界線に対して非常に敏感に反応した結果、世論が以上に盛り上がったあったかもしれません。
この案は沖縄を始め、各方面からの反発が強く、1年未満で消えてしまいました。
もし実現していたら、台湾と沖縄は今とは全く違う運命を歩んできたいたのかもしれませんね。
観光しても色々ある、歴史を見ても色々ある。
そんな沖縄をどうぞよろしくお願いいたします。
琉装の琉球民族
みんな待ってるよー
もっと知って下さい沖縄のこと
では、今週も「にふぇーでーびる(琉球語=(人''▽`)ありがとう☆の意)」でした
Blogのススメ
名護市民・沖縄県民の皆さん Blog始めよ
※ 下の画像をクリックっでBlogの作り方紹介サイトに行きます
Blogを始める方はコチラ(Ameba Top)から
シーサーとキジムナーより