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星このBlogは地域活性化の目的がありますやしの木

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「このBlogを始めたきっかけ」

 

 

下矢印 本題でーすハイビスカスハイビスカス 下矢印

 

今では宇宙にまで人が住んでいる時代

1429年の頃には誰も想像できなかったでしょうね。猫あたま黒猫あたま

 

今の地球で一般的に使用される最速な乗り物は「飛行機」です。飛行機  飛行機

当時は「船」です。風と潮を上手に操ればこんなに早く移動できる乗り物はありませんでした。後の大航海時代を見てもわかる通り、人間は「船」を活用することで世界中のあらゆる大陸とつながりを持つ事に成功しました。船  船

 

1972年沖縄は本土復帰を果たします。その復興記念事業の中に「海洋博覧会」があったのをご存知ですかはてなマークはてなマーク世界中の人々が沖縄を訪れ海洋民族の貴重な展示物を見て回りました。その跡地があの「美ら海(ちゅらうみ)水族館」を有する海洋博記念公園です。ジェットコースター  観覧車

 

当時の海洋博覧会のロゴ↓

 

今までのBlogでも紹介したように琉球民族は琉球王国が成立する前から、世界的に見ても非常に長い間、農耕を行わず海で漁をしていた民族です。近隣諸国とも貝殻などを武器に物々交換などによる交流を行ってきました。王国成立後は本格的に中国文化を中心とした近隣諸国と交流を持ち、様々な技術や文化と吸収しています。今では観光客に定番の「海人(うみんちゅ)」Tシャツはこんな所に起源があるかもしれませんね。魚しっぽ魚からだ魚あたまイルカ

 

愛知県半田市に本社がある「ミツカン」をご存知ですかはてなマークはてなマークそうあの「お酢」で有名なミツカンです。彼らは愛知県の半田市で江戸時代からお酢を製造し船に乗り江戸まで運びお酢を提供していました。江戸前寿司を支えていたのはなんと愛知県半田市で作られたお酢と大量の「お酢」を運んだ船だったのです。このように当時「船」は非常に重要な物流手段だったのです。

 

寿司寿司寿司 寿司寿司寿司 寿司寿司寿司 

おいしいよねぇ( ´艸`)

 

話は変わるようで変わりませんが足足

 

琉球には「士農工商」が通用しません。琉球の身分制度は2つのみ「士族と百姓」です。「士族」は主に国に係わる重要な部分の仕事を担当していました。人口全体の約30%の人々です。その他は「百姓」で約70%です。面白いところは「百姓=農業」ではありませんでした。商人や職人等も入ります。いわゆる地方公務員的な役柄の人も百姓です。その中には士族よりも大儲けしていた百姓がいました。どうやって儲けていたかは後程・・・キラキラキラキラキラキラ

 

琉球王国の道は首里城の守礼の門を起点に中部へ続く道、北部へ続く道等々、全部で5つの道が主要な道としてあったそうです。まさに「全ての道はローマに通じる」のように各エリアとつながっていたそうです。この道の名前を「宿道(=すくみち)」と呼び王国の重要な役割を果たしていました。例えば首里王府が出した通達文書、これはこの「宿道」を通して各エリアに伝えられました。ですがこの道は舗装状況が良くなかったり、アップ・ダウンが激しいなど物を運ぶには狭くて険しく、大量の荷を運ぶ為の物流には向いていませんでした。

 

そこで活躍したのがジャンク船と呼ばれる船、中国の人々があみ出した船です。木造で水没しにくい構造を持ち、風をとらえる「帆」が付いています。中でも大ヒットしたのが

「馬艦船(まーらんせん ※マーランは中国語)」です。海の上を馬のように走るというのが語源だそうです。ジャンク船の中でもスピードが出て安定感があり、しかも大量の荷物が積める。さらに船底が浅いためサンゴに当たらず座礁しにくいと大変な優れもので琉球の地形にはピッタリの船でした。王府が160ある島々を結ぶすべての公用船をこのタイプの船へ変更をすすめたほどです。年代的には1700年代。この馬艦船を多く所有して運搬業務を商いにする人々がいました。それが上記した一部の百姓達です。中には「船が流された」と中国に渡り個人的に買い付けを行う強者まで現れました。首里政府も運搬業務を次第に民間に任せるようになり、大量の「租税の運搬」や公的文書や、島流しの刑にあった罪人の運搬など非常に多くの仕事があったようです。琉球処分後もしばらくの間この航路は使われ続けており、当時のノウハウが現在の航路につながっているのかもしれません。

 

琉球の象徴ともいえる前回紹介した「進貢船」も含め船体には目のようなものが描かれています。調べてみるとやはりあれは「目」であり琉球では鳥の、中国では龍の目とされているそうです。漁船にも描かれており、大量の魚を見つける為、漁船の目は海底を見つめるように、進貢船等の長期航海船は遠くの大陸を見るように前を向いて描かれたそうです。現在の沖縄県章によく似ていますが残念ながらつながりは無いようですね。

 

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「馬艦船」 写真はインターネットからお借りしました↓

 

「進貢船」 復元したものです確か全長は31mほど

 

 

今週もありがとうございました。私の故郷、名護市がある北部から出る馬艦船は特別に「山原(やんばる)船」と呼ばれていたそうです。今帰仁(なきじん)村の運天(うんてん)港から出航していたのかもしれませんね。

 

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正直毎週非常に大変な思いをして書いています。なんせ「0」スタートですから・・・。もやもやもやもや

 

ですが、それ以上にとても脳が充実しています。なんといいますか琉球民族として忘れていた(実際には知らなかった事なのですが…)大事なことを1つ1つ拾い集めているような感覚です。琉球や沖縄の歴史を知ることは沖縄県民にとって非常に重要なことだと感じています。来沖される方々にも自信もって琉球王国を紹介できますし、沖縄が抱える様々な問題を乗り越えるときに、歴史を知ることで得た琉球魂みたいなものが生まれ、自分の中に確固たる基準を持つことができるような気がしています。熊あたまビーグルあたま

 

もちろん、どんな方向に向くかは今の沖縄県民が最終的には決める事になりますが、歴史を知った上での回答なのか、そうでないのかでは天と地ほどの差があるように感じます。後悔しない選択の為にも偏りのない琉球や沖縄の歴史をこれからも自発的に勉強していきたいと思っています。

 

じゃ また来週お願いいたします。おいでおいで

 

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