今日は関西人に取っては忘れられない日。


阪神・淡路大震災から今日で丸12年になりました。


神戸市中央区にあります、人と防災未来センターに行って来ました。




周りは大勢の人が献花し、お亡くなりになられた方々の

ご冥福を祈ってらっしゃいました。






高校3年生だった私は大阪に住んでましたので


直接的な被害は自宅の食器のほとんどが割れたくらいで


家族みんなは無事でしたが、親戚のほとんどが兵庫県の芦屋市や


そのとなりの神戸市東灘区に住んでましたので、あの日を境に


自宅は倒壊し避難生活へと変わりました。


大阪の高校に通っていた私は、クラスでただ一人学校に休暇をもらい


電車に乗って西宮北口から国道2号線を本山まで延々と歩いたことを


今でも鮮明に覚えております。


地震から1週間たってないころでしたので、周りはブルーシートに


包まれ車は大渋滞、バイクも歩道を走っているような状態で


歩くのも怖かったですが、親戚に届けるための食料や寝具など


家族4人で抱えながら10km近く歩いたと思います。


私は行ってないのですが、父方の祖母の自宅が宝塚にありましたので


父が弟を連れて石橋駅か池田駅あたりから宝塚まで歩いていったりと


学校どころではありませんでした。


幸い進路は専門学校に行くことになってましたので


影響はありませんでしたが、もし自分自身がその立場になっていたら


どうなっていたのでしょうか?


災害大国、ニッポン。


わかってはいるけれど、いざ自分の身になった時には平静を保つことは


出来ないと思います。


あの地震でなくなられた方、そしてそのご遺族の皆様に対しまして


心よりご冥福を申し上げます。


私自身の産まれた場所でもある、兵庫県が発展だけではなく


震災を忘れない街づくりをさらに進めて行ってもらいたいと思います。