嘉慶二年
熊本県山鹿市大字杉1607 日輪寺
凝灰岩製
基礎高;27.5
側面幅;35.0
側面高;20.5
反花高;7.0
他石塔部材に重ねられて置かれている。小石塔の基礎だけが残る。
反花付石塔基礎は、他石塔部材と重ねて置かれている。小石塔の基礎だけが残る。上に、反花単弁8葉間弁付きを作り出す。
側面の1面に3行の刻字が有る。
「慈賢書記」
「嘉慶二□□」 *4字目「□」は「年」か。
「八月廿二日造立」 *7字目「立」は推読。
造立趣旨の記載は無いが、紀年銘により、南北朝時代末期造立だとわかる。
基礎だけの部材ながら、他の反花付石塔基礎の時代を計る基準作として重要である。同様に反花を持つ無縫塔基礎の形状とは異なっている。このような反花付きの石塔基礎は、鹿本郡、菊池郡一帯に多く残るが、他部材を失った基礎だけのものが多く、完形塔は殆ど見かけない。これまでの当該地域調査で、完形あるいは完形に近い状態で残る石塔は、鎌倉時代造立の藤井八幡宮宝塔(弘安六年、1283)、真堂浦宝塔(元亨二年、1322)の2基、南北朝時代の日輪寺宝珠宝塔(南北朝時代前期)、室町時代中期の・・・宝珠宝塔(文明六年、1474)の計4基を確認できたに過ぎない。基礎のみなので、もとの塔形は推定するしかないが、南北朝時代前期の日輪寺宝珠宝塔以降に造立された南北朝時代から室町時代の反花付基礎の多くは、宝珠宝塔だった可能性が高いものと思われる。
1976.07.26.撮影、測量


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