鎌倉時代末期
滋賀県蒲生郡日野町蔵王567 寂照寺
花崗岩製
塔現高(相輪後補除く);約138.0
基礎幅;66.0
基礎土波際高;36.0
軸部高;41.0
縁板状高;3.0
首部高;15.0
塔身高;59.0
垂木型高;2.0
軒中央厚;10.0 軒端厚;13.5
露盤上辺幅25.5 露盤下辺幅;26.0
露盤高;7.0
笠高;43.0
宝塔は、20段ほどの石段を上がった境内の道路側に建つ小堂前に重要文化財宝篋印塔と並べて置かれている。この2基は、隣接する金峯神社鳥居前に有ったものを、道路拡張のため、平成四年二月、現在地に移設されたものという(註1)。
基礎、塔身、笠、相輪の4石で、大きく欠けたところは見られず、保存状態は良好である。
基礎幅よりわずかに大きいだけの基壇1段を置くが、別物を転用したもののようである。
基礎は、比高を高く作る。側面は、4面とも輪郭を巻き、浅く平底に彫り込み、中に格狭間を更に平底に彫り込む。輪郭は、上幅より下幅をわずかに広くし、両側幅は、上幅の2倍ほどの幅広にする。比高の高い基礎に加えて、輪郭の両側を更に幅広く取っているため、格狭間の背も高くなっている。
格狭間は、輪郭一杯に作る。上部茨は、上枠に着け、両側の曲線は短くして茨を作り、小曲線につなぐ。2個の小曲線は、順に肩を落として、側線につなぐ。側線は、丈が高くなっているが張りのある曲線で脚部につなぐ。
格狭間内は、正面のみ右向きの孔雀を平板に大きく薄肉彫し、他3面は無地のままにする。肉眼や写真では、孔雀の姿形、特に頭部は、明瞭に見えなかった。
塔身は、軸部、縁板状、勾欄型、首部までを1石で作る。
軸部は、上部を少し膨らませた円筒形で、下部に地長押、肩部に上長押を帯状に回し、上下長押に接して、扉型を4方に全て薄肉彫で配する。扉型は、2本の柱と上下内法長押からなり、上下共、内法長押は、柱から外に少し伸ばすだけに止め、4方の扉型を独立させている。饅頭形は、上長押の上から低い曲線を作り、縁板状につなぐ。縁板状は、薄めで、軸部より径を幾分か小さくする。首部は、縁板状より径を少し小さくしただけの大振りの勾欄型を加えて2段にする。勾欄型の側面は、無地。上の首部は、勾欄型より径を小さくして区分し、低く作り、上に笠を乗せる。
銘は、扉型柱の内側に2行彫る。
「文保二年戊午三月日/大願主一結衆」(註2)
石面が粗いため肉眼での判読は難しいが、手持ちの資料を参考に、紀年銘の干支までは何とか確認できた。
笠は、軒裏に薄い1重の垂木型、上辺に低い側面無地の露盤を作り出す。軒幅に対して軒は大分厚くする。その分、屋根は、短くなっている。軒下辺は、平行部分を取って、両端で自然な曲線で反る。対する上辺は、曲線だけで平行部を作らず、両端で強く反り上げる。そのため、厚い軒は、中央より両端が更に分厚くなっている。屋根は、露盤下に起りを付け、照り起り屋根にして、隅降棟には瓦状を付ける。瓦状は、密着した3本構成で、中央を厚く太くして、その左右に中央より細く、先端を少し短くしたものを密着させて添える。屋根の上辺、露盤下辺で2本を密着させた棟を作って、隅降棟の瓦状と連結するのが多く、これもそれらしい痕跡は有るようにも見えるが、摩耗したものか明瞭には確認できなかった。機会があれば、再度確認が必要と思われる。
相輪は、後補。
塔形は、基礎の比高が高く、基礎幅、笠軒幅に比べて、塔身径が太く、また、塔身自体も軸部と首部の径差が小さいなどがあって、全体に出入りが少なく、重い印象である。
註1;宝篋印塔前の銘板「重要文化財寂照寺宝篋印塔修理記」による。
註2.銘は、『石造美術紀行』(猪野六郎著 Gooブログ)参照
参考文献;『石造美術紀行』(猪野六郎著 Gooブログ)
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